ふっと太陽のように暖かなクリューガーの顔が脳裏をよぎった。

困ったことがあればいつでも俺のところに来いと、あの男気のある将軍は、

何度も言いはしなかったか?

 クリューガーの元に行けば、大船に乗ったも同然だった。

力も財力もあるトラキネ伯。

必ずやロマンダルの追っ手から、上手くバルセロナを隠してくれるだろう。

(クリューガー将軍のところへ行こう。)

我ながら打算的だな、と思いながら、バルセロナはその好意に

甘えることに心を決めた。

(私はもう…耐えられない。

あなたの生き方と私の生き方とは…違いすぎる。)

(この子はロマンダル王家とは何のかかわりもない、

私一人の子として育てます…。その方がいい。)

 心が決まると表情さえすっきりと晴れやかになって、

バルセロナはてきぱきとわずかな身の回りの品をまとめ始めた。

(出て行くのは、夜。気付かれないように。

どこかで馬を調達できるだろうか…?)

ふいっとテュアレスから貰った愛剣に目をやる。

(これだけは…いただいていってもいいですよね? テュアレス王子。)

かつてロマンダルを去った日の思い出が心に蘇り、

バルセロナの目頭を熱くした。

(どうして…こんな日が来るのだろう…?)

バルセロナの顔が苦痛に歪んだ。



 当のバルセロナは、そのようなクリューガーの想いなどつゆ知らなかった。

彼女はテュアレスが去った衝撃からようやくわが身を立て直すと、

この先の身の振り方についてある決心を固めていた。

曰く、このまま私はもうこの王宮にはいられない…。

 元来から丈夫なたちのせいか、それとも女騎士として鍛え上げられた

体のせいか、悪阻も思ったほどではなくすぐ終わり、体調的には

すこぶる良かった。

今ならばロマンダルの王宮を去るにも何の困難もないであろう。

おなかが本格的に膨れだす前に安心して出産できる居場所へ

辿り着かねばならない。

(でも、どこへ…?)

思えばバルセロナの顔は暗かった。

もう自分には行き場もない。居所も…。

 両親のところへ戻るわけにはいかなかった。

すぐに連れ戻されてしまうだろう。兄エリオットの所も同様である。

かといって、もはやイリアネス様に庇護を求めることも出来なかった。

もう喜んでは迎えてくださらないだろう。

その懐に飛び込めば、国と国の問題になる。

ましてや暗殺者の凶刃にかかり病床にあるイリアネスである。

バルセロナが思慮なく舞い戻れば、いかほどの負担になろう。

(ここには、テュアレス王子のもとには、もういられない。

でも私にどこに行き場があるというのだろう。

どこにもない。行き先なんて…。)

 ナザレア公がなんと言おうと…

無傷のロマンダルと戦端をひらくには分が悪すぎる。

最大の目的であったカレルを陥落させ、事実上グランゴワールを

滅亡させた以上、これ以上はここに留まる意味もない。

グランゴワールの残党に気をつけながら見事に撤退することだ。

ロマンダル軍の来る前に…!

 クリューガーは、もしもう一度あいまみみえることがあるならば、

唾を吐きかけてやりたいような腹立ちをロマンダルの王太子テュアレスに

感じながら、密かに撤退の準備をさせはじめた。

なにがグランゴワールの盟邦だ、まさに漁夫の利というやつだ、

汚い野郎だな…と毒づきながら。

 一時でも彼を信じてバルセロナを託した自分の浅はかさが

恨めしくも呪わしくもあった。

 バルセロナは…あの一途な女は、自分が愛し夫と定めた

このロマンダルの王太子のやり口をどう思っているのだろう。

クリューガーは心底バルセロナが心配だった。

ロマンダルの王太子の立場ゆえに仕方のない…戦略だと割り切れるのか?

潔癖な彼女にそんなことは到底不可能だと思われた。

もとよりロマンダルの王太子妃など…務まるわけもない。

バルセロナをロマンダルへやるなどと、自分はどうかしていたのだ。

(早まるなよ…。)

と彼は思った。

(頼むから、早まるなよ、バルセロナ…。)

眉間の皺が深くなった。