僕のゴミ箱

僕のゴミ箱

物書きで飯を食うことを目指しながら、映像作品を作ろうという男。
社会との折り合いの付け方に悩みつつも、今日もなんかやってます。

Amebaでブログを始めよう!

 

 

なんとなく、SOADが浮かんだのでググってみた。精力的にライブはしてるのに、新作は「Hypnotize」「Mezmeraize」から出してないようだ。

 

その間13年!!赤ん坊が思春期を迎えるほどの年数だ。


「おいおい。いくら何でも長すぎねぇかい?赤子が初潮とか精通迎えちゃったよ? 何してんの?ねぇ?バカなの?死ぬの?早くくれよ!!イッちゃうほどのエモーショナルをさあああああああああ!!!!!!足んねぇんだよおおおおおお!!!」


正直そう思った。


そしたら、フロントマンのサージ・タンキアンが理由を語っていた。
 


グーグル翻訳と拙い英語力で訳したところ、さっぱりわからん。しょうがないから、音楽メディアの配信記事を見てみた。


・サージが作りたくないと言い出した。
・音楽の方向性に疑問を抱いた。
・仲間は大事だからソロ活動を始めました。


そっか。なるほど。

 

 

さっぱりわからん。


さすが、天才だ。メンバーからも「アイツが話していることは時々わからん」と称される異能だ。


とりあえず、サージが原因のようだね。



んで「サージがどんなソロ活動してんのかな?」って思って、YOUTUBEを視たら驚いた。

 

 


おいおい。

 

モリッシーじゃねえか!! 

 

「リングリーダー・オブ・ザ・トーメンターズ」の頃のモリッシーじゃねぇか!!

 

 

 


どうしたサージ。元曲これだぞ?

 




しかもベジタリアンだろ。モリッシーもヴィーガンだったっけ。ふたりとも肉食わないで、産まれた年代も近い。

 

ということは、サージがモリッシーみたいになる日も遠くはない。




俺が覚えてるサージはこんな感じで、30秒に一回くらいのペースで「F☓UCK!!」って言っている人だぞ。

それが、モリッシーみたいに「動物を食べることと、小児性愛には何の違いもない。どちらもレイプであり、暴行であり、殺戮だ」とか言い出したらどうしよう……どうもしないけど。

サージはサージのペースで頑張って欲しいものである。

 

そして、いつの日か焼きそばヘアに戻って、モリッシーに「FUxK!」って連発しながらベーコンを食わせて、お互いに罵り合って、最後には「肉食うやつって気持ちわりぃ!」って笑いあって仲良くなる日が来たらいいなぁ。

 

本気では思ってないけど。

4月に入り、気がつけばMy Little Loverの「ハローアゲイン」と斉藤和義の「絶望という名のガム」を聴いている気がする。そして、去年も同じことを言っていたような気がする。


だから俺は、今年も言うのだろう。別れたいけど、踏んづけたガムのように取れない絶望的なものがあると。そして、きっと2019年も、東京五輪が終わっても、俺は言い続けるのだろう。この時期になると「ハローアゲイン」と「絶望という名のガム」を聴いていると。


花粉じゃない。将来じゃない。ましてや恋でもない。


脂肪なのだ。


春の陽気は俺らからジャッケットを1枚脱がし、冬の間にたるんだ腹を白日の下に晒す。


それを見て俺は「ハローアゲイン」と言うのだ。また今年もやってきやがったなと。まさに「記憶の中で生き続ける」ヤツが、絶望という名のベルトになって、腹回りにやってくるのだ。

 

むち打ちになるほどの重度な花粉症は、クシャミ連発による虚脱状態から俺の思考を鈍らせ、アレルギー性結膜炎に冒された眼球は見ることを諦めようとする。霞んだ視界の中で、目に映った奴は今年も言うのだ。「ハローアゲイン」と。

 

弱りきった俺はそいつを見ながら、目障りだ、消えろなどの悪意を込めて呪詛を繰り返す。何度も、何度も、心の中で。


しかし、長い冬の間に私の怠惰を掠め取りながら奴は、ゆっくりと確実に力を着けており「ねぇパパ。サボってくれていたおかげで、俺はここまで育てたの。ねぇ、パパ。あなたの自己愛のおかげで、僕はここまで大きくなったんだよ。褒めてくれよ」と。とてもじゃないが独力では敵いそうもない。


そもそもだ。私は運動が嫌いだ。それが遠因となり、体力を失い、病弱になったことはなんとかなく分かる。だが、だからと言って体力を取り戻して健康を取り戻す!なんてスポ根マンガみたいなことは言わない。


無駄だからだ。


何10年も掛けてなったかを考え、さらに取り戻すまでに倍の年月をかけるだけのメリットがあるのだろうか?いや、私のルックスにそんな価値も需要もない。卑屈になっているわけではない。純然たる事実を述べているだけだ。


悲しいけれど、受け入れなければならないだろう。NOKKOが全盛期のようにフレンズを歌えなくなった現実を知ったときのような喪失感はあるが、俺が虚弱体質のデブなのは漫然たる事実なのだから。

 

出来ることは、変わったことを受け入れつつ、自分の体力の上限を認識し、絶望を冠するベルトとうまく付き合う方法を模索するしかないのだろう。

 

しかし、私はカッコつけた生き方を貫きたいという男である。自分自身がカッコいいと思うことを生涯かけてやるだけである。定義づけられたカッコよさほど窮屈なものはない。人間が憧れる人間になりたい。昔から、変わらぬ夢は目標となってしまった。

 

ただだ、デブでカッコいい図がなかなか浮かばないというのが本音だ。

 

 

だれか、カッコいいデブを教えてください。よろしくお願いします。

 

唐突な展開だろう?もっと、唐突なことを今から告げるよ?いい?

 

 

 

 

 

 




終わりです。

 巷にありふれている感想で、見た人が誰しもが思っていることなのかもしれないが、とんねるずはカッコいい。面白いよりも、カッコいい。ただ、そのカッコよさは、コメディがあるからこそ際立つのであって。


 昨日「みなさんのおかげでした」が最終回を迎えた。前身の「みなさんのおかげです」から続いて、30年以上。1340回目の放送だったとのことだ。


同時に、子供のころを思い出した。


 「みなさんのおかげです」が放送されてた頃は、小学生だったと思う。ブームになっていたし、厳格な父も「みなさんのおかげです」という謙虚な番組名に好感を持ってくれたのか、放送日だけは一時間だけ遅く寝ることを許されていた。後番組の「生でダラダラいかせて!」は許されなかった。番組名からして、ダイレクトな下ネタだからだ。


 今思い返せば、タイトルの強弱はあるけど「みなさんのおかげです」もセクハラ、パワハラなどのあらゆるハラスメントが存在していた番組だった。今では両番組とも、青少年に悪影響を与える番組だと言われてしまうのだろう。


 だけど、とんねるずが全力でやっていた悪ふざけは、確実に僕の血肉の一部となり、誰かと関わる際のきっかけになった。学校では、前日にとんねるずがやったネタのマネやパロディーで、笑い合っていたものだ。友好を深めたものだ。


 あの頃の小僧どもは、30歳を超えた中年になっても、特に問題もなく社会の一線で戦っている。一体、何が悪影響を与えたのだろうか。あの頃の少年たちは、家族や親、ひいては日本経済を支える柱石となって励んでいるのに、とんねるずやダウンタウンの影響がある僕らは、次世代にとって悪だとでも言うのだろうか。 だとするならば、子供などもうけないほうが良い。

 

 慈しみと可愛がりだけで人間を育てたら、歪んで偏った人間を量産するだけだ。社会には善意も悪意も混じり合っているからだ。悪意なんていったら聞こえは悪いが、ようはずる賢さであったり、怠慢だったりといった、王道ではないこととでも言おうか。


 人間の裏面を知らない人間ほど、杓子定規的で面白みがない人間ばっかりだ。会話も型から外れないことに気を使うことに終止し、そこにはなんのダイナミズムもない。


 僕は「個性を大事にしなさい」と、公から教えられた初めての世代だ。小学校のころに土曜日が隔週休みになり、余暇が増えることで上の世代よりも新しい価値観を取り入れることを国が許してくれた走りとも言え、後続の世代は同じように育てられている。


 にもかかわらず、社会に出たら型にハマることを強要されることになった。組織細胞の一つとして機能することを求められ、個性を尊重されることはなかったと思う。今でこそ、常識は会社ごとに異なり、そこの型にハマってから破ることが個性につながると悟ったが、そこに至るまでには悩みもストレスも尋常ではなかった。


 この国は混乱の極みにある。90年代にバブルが崩壊し、今なお混乱をしている。政府は国民の行く末や目標を示すことができず、野党は頼りない。そんな状況だから、明日の心配は絶えることなく、ひとりひとりが守りに入り、安全策を求める。そんな状況で、結婚や恋愛なんて出来るわけがない。自分一人食わせるのが精一杯なのだから。


 他者を受け入れる余裕がなく、自己防衛ばかりに執着し、社会の歯車であっても孤立していく。その状況で抱えるストレスは、自分を変えるエネルギーにつながるわけでなく、弱い対象を見つけて叩く。


 矛先は、芸能人や政治家などの余裕がある人の不倫であったり、不祥事であったりするのだ。清廉潔白を人に求めるくせに、自身は傷つけられたくない。それどころか、きちんと自分の理想を追って、社会を変えようとする人の足を引っ張り、打ちのめす。それが日本に感じる所感だ。


 グローバル化が当然の世の中で、個性を育てる教育をし、社会では十把一絡げな人格を求める社会。政府は国際社会に付和雷同を貫き、マスメディアは欧米への属国教育を進める日本社会。建前では自由と個性を謳い、その実異分子を認めない大いなる村社会。


 その背中を見た子供は何を学び、親は何を教えるのか?子供に自立を促す前に、大人が自立しなければならない。自立とはひとりで生計を立てることではない。どうやって魑魅魍魎が跋扈する社会において、自分を貫き、戦っていけるかだ。それを支えるのは、人生をかけて守りたい、成し遂げたいという強い意志だ。混乱する社会において、それがない人間は水母のように人生という潮を漂うだけになる。


 最後の「みなさんのおかげです」で、石橋貴明と木梨憲武は91年にリリースされた「情けねぇ」を歌っていた。往年のふたりは、当時と同じ音域は出ていなかったけれど、懸命に、がなるように歌い上げていた。


 時代に対してのアンチテーゼ、気力をなくした人たちへ反語的なエールで構成されている歌詞。終盤、ふたりは歌詞を変えた。木梨が「バラエティを」と諦観した表情で振れば、石橋は「滅ぼすなよ」と鬼気迫る表情で続ける。彼らは、我々視聴者に対して、自立を訴えかけたのだろう。「情けねぇ」はフジテレビに対してではない。我々に対してなのだ。


 同級生として芸能界を渡り歩いたふたりの30年後の顔は、シワが刻まれていて。それを見たとき「やっぱり、カッコいいな」「こんな風に歳をとりたいな」と感じ、ふたりにこんなことを言わせるくらい、今の日本は窮屈になったのだと悲しくなった。


 規制は誰のために?政治や仕事、エンタメは誰のために? 価値を作り上げるのも、文化を壊し、人との関わり方を変えるのも、次の世代に夢を見せるのも、国やマスコミの仕事ではない。僕らひとりひとりが生涯をかけて成し遂げる仕事なのだ。


そんな思いを込めながら「水母」を書いています。

https://kakuyomu.jp/users/pazzotusuki/works

好きなことや、やりたいことは借金してでもやったほうがいいって話。

金は減っても頑張れば入ってくる(増えるとは言ってない)。

やりたいことや好きなことは、いつまでも待ってくれないし、やらずに悩んでたら疲れたり、やりもしないで見限ってしまったりってことが多々ある。

例えば好きな子へ思いを伝えるとき。まだ下の毛が数本しか生えてなかったときの回想になるけど、少し書かせてほしい。

当時16歳の僕は、バイト先の一つ上の女の子に思いを寄せていた。積極的な子で、話したくなったら深夜でも家に電話を掛けてきていたもんだ。

親にも姉にも「あんな子は止めなさい」と言われてたし、自分に「諦めないといけない」って言い聞かせていたもんだ。それでも、告白しようか、どうしようか、親に言われたらダルいとか、でも反対を押し切って付き合ったら……。なんて妄想という名のシミュレーションを繰り返しているうちに、その子には彼氏ができてしまった。彼女は彼女の未来へと行ってしまったのだ

その後の僕は、彼女への恋心に無理やり蓋をして、ごまかして、煮え切らない気持ちを抱えながら、代わりに熱中できるものを求めた。

よくある話だが、後日談がある。何年か前にその子と再開したのだ。

彼女はすでに結婚しており、2児の母になっていた。話題は当然、昔の話になる。その中で、彼女は僕に恋心を抱いていてくれたと打ち明けたのだ。薄々感づいていたけど。

「いつ来てくれんのかな?って待ってたけど、来ないし。 しょうがないから、来てくれた人と付き合ったけど、それでも待ってた」と言われたときの僕の気持ちが分かるだろうか? 

さらに、その子はしょうがないから初めて付き合った彼氏と結婚していた。なんと一途な子だったのでしょう。

その場では「そっかぁ。俺もだったんだよハハハ!」って言って別れたけど、帰宅すると「タラレバ」の鎖にがんじがらめ。

この「タラレバ」がイケない。ドラマや漫画のテーマになるくらい強い感情の「タラレバ」。

なんかやって失敗したときの「タラレバ」は反省になって、ポジティブなもんになる。だけど、なんにもやらないでの「タラレバ」は後悔しか産まれない。

しかもだ。後悔での「タラレバ」は、未来への歩みをもつれさせる。一日で解けることもあれば、寄生虫みたいに数10年経ってもまとわりつく場合も多々ある。いつ消えてくれるかは、完璧に「タラレバ」の都合にしかすぎない。

ず~~~っと思考を過去に縫い付けて、気がつけば「タラレバ」の繰り返し。

そんなもんに囚われているから、なにか新しいことをやっても、見ても感動しない。そりゃそうだ。感動なんて、些細なことが積み重なって感情の臨界点を越えたときや、圧倒されたときに発露するもんだ。

頭の中が「タラレバ」に支配されてたら、新しさを求めないもんよ。求めても、本当に忘れられるほど熱中できるかも疑問。結果として「タラレバ」に時間を盗まれて終了だ。

俺、分かっちゃったもんね。なんかやろうとか、欲を抱いた段階で、結果的に「タラレバ」に囚われるって。一回足を掴まれたら、なかなか抜け出せないって。

だから、こころに素直になるんだ。

好きと思ったら、すぐに伝えよう。いいと思ったら、すぐにやろう


その思いに忠実に、マンションで一人暮らししている女友達に「一部屋くれ。体で払うから」と言ってみました。返ってきたのは「嫌だ」の二文字。生活かかってるのよ?ぼく。

「あなたも所詮お金目当てなのね! ケダモノ! 月4万なら払う!」と食い下がったら、今度は無視されました。

まずは、アイラブユーの伝え方から勉強し直そうと思います。
 

最近、くしゃみが止まらない。

 

理由はシンプル。花粉症なのだ。

 

僕の花粉症はただならぬもので、くしゃみが始まると20連発くらいする。あまりに止まらなかったら、くしゃみで鼻血が出るときもある。


過去に数回、花粉症のせいでムチ打ちになったことも。多分知らないうちに、鼓膜も割れているんじゃないだろうか。

 

くしゃみは春が来た知らせだ。僕のくしゃみに続いて、桜は花開き、ふきのとうも土から出てくるし、女の子の上着が薄くなる。そして、くしゃみが収まったときに、春が去ったと気がつくのだ。

 

それがたまらなく嫌だ。四季が巡るという日本の機微を、十全に味わえないからだ。花粉症を気にして冬よりも外出を控えるし、対策するのもめんどくさい。


 

春。黒、白、グレーといったモノトーンの冬を越えたら訪れる季節。冬の間どこに隠れていたのか分からないほど、とりどりのパステルカラーが溢れる色彩豊かな数ヶ月。

 

反面、植物の精子だか卵子だか分からない微細な何かが、ぶっかけとごっくんプレイを強要してくる季節でもある。

 

そんなもんに行動を制限され、思考力を鈍らせられる屈辱を分かっていただけるだろうか? 多分、重度の花粉症患者はうなずいてくれるだろう。僕らはぶっかけられていると。

 

しかし僕には、植物とアブノーマルなプレイをする趣味はない。薬局でアレグラを買う。5日で効かなくなる。

 

なんとかしてくれと医者にかかる。2倍の量のアレグラと同じジェネリックを処方される。「それだったらアレグラでいいじゃねぇか! 医者ならではの薬よこせ!」とごねる。医者との効く、効かないの押し問答に疲れ、不承不承ながら服用する。効く。驚く。調子づく。再発。幻の健康。

 

体内には、花粉とストレスが蓄積されていくばかり。しかもこれから二回戦、三回戦と続いていく。

 

ヒノキよ、杉よ、そしてブタクサよ。

 

どんだけ絶倫なんだよ!!!!

 

花粉さん、死んで。

好きなものを追究する情熱がなくなったとしても、他に情熱を注げるわけではないって話。

 

たぶんだけど、みんな熱中してるもの、してたものって1つや2つはあると思う。例えば僕はBLANKEY JET CITYが好きだ。 

 

人が多くてうるさいところが嫌いな僕は、それほどライブに参加していたわけではない。

 

それでもCDをはじめ、リリースされたCDやDVD、書籍や小物などは買い漁っていた。

 

解散後に、メンバーはそれぞれの活動に入った。何回か見に行ったが、ブランキーほど夢中にはならなかった。もちろん、あれだけのカリスマ3人だ。演奏技術言うまでもなく、音楽センスは脱帽するものだ。

 

でも、僕は気づいたんだ。3人が織り成すBLANKEY JET CITYという個体が好きなんだって。

 

さて、最初に戻る。僕の持論の引き合いとして、活動していたのが約20年前にもなるBLANKEYを引き合いに出したのは、単純に「あなたが好きなのは?」と聞かれたら「解散しちゃったBLANKEY」と答えるからだ。

 

言い換えれば、日々をこなす中で許される僅な自由時間で、狂えるほど愛せるミュージシャンを探す情熱が失われた証拠だ。

 

今、自分の興味は何か?と言われたら創作活動になる。

「今書いているものが完成したら、どのような反応があるだろう?」「どんな形で展開しようか?」

これが心の3割くらい。残り7割は、読者の薬にも毒にもならないかもしれない作品を「仕上げなきゃ」という得体のしれない責任感なのだけど。

 

好きなものに情熱が注げなくなったとしても、 他に熱中できるわけではない。子供の頃によく言われた「その集中力を他に注いだら」に対しての使い古された反論。

 

それが年を経て、「他のものに注いだら小説が出来ました」って告知です。

 

よろしければ見てあげてくだされ。

 

今週中に、どこぞかの小説サイトに上げますので、その際はまたお知らせします。    

久しぶりの更新。

何してたかっていうと、脚本家の学校行って、そこで会った仲間と脚本家集団「波図(Pazz)っていう団体を作りました。自分たちの書いた本を映像にしていこうってスタンスです。お見知り置きを。

 

さて、安室ちゃんが来年9月に引退を表明しましたね。このことから、夢を追い続けることいつ辞めんの?って話と、挫折とか、後悔とかって、そんなに悪いもんじゃないって話をしようと思います。どうかみなさんお付き合い。

さて、安室ちゃんが引退って、ほぼ同世代の僕にすりゃマジで大事件。ミサイルがいつ来るのか分からない情勢で、28日の衆院解散とか表明している現状でも、安室ちゃん特集ばっかりやってるメディアに「大丈夫か?!この国」という一抹の不安を感じますね。

反面、これが自分の飯の種になっているという事実に忸怩たる思いも感じるわけですが。

芸能生活25年ですって、安室ちゃん。25年前といえば、僕はまだ小学生。卒業文集の「将来の夢」で「考古学者かフリーター」と答えていた夢見がちだった僕はいまだ夢の中で。あのころずっと聴いてた、ストリートビーツの「十代の衝動」が血管の一部になっちゃってるわけで。

あの頃は、何者になるのだろうとワクワクしていたけど、25年たった今でも何者でもなく。今でこそ「物書き」になるための方向付けをしたが、それまでは疑問と不満、諦観を抱えながら日々を漂い続けて、現在にたどり着いたわけです。

僕の大好きな偉人のひとり、吉田松陰の逸話を紹介します。


「生涯に『二十一回』の『猛』を発する」


歴史小説家・司馬遼太郎が「世に棲む日日」で称した彼の性質は『狂』。ひとつのことに対して「狂える」ほどの情熱を注ぐことで、人を動かす『猛』を発せられるという意味ですね。

そのために松蔭は、生涯で一度も女性とも交わらず、自身のやりたい活動以外に浪費せず、桂小五郎や高杉晋作などの革命志士を育んだ「松下村塾」を立ち上げるわけです。


そんな松蔭は、教え子や同志に「諸君、狂いたまえ」と告げるのです。


安室ちゃんが凄いのって、自分を信じぬく自己愛性と、それを維持し続ける狂人な精神力と体力、結果が出るまで研鑽と反省を絶やさない執拗性じゃないかと個人的には思うわけです。衆人のための「安室奈美恵」を維持するために、「猛」を自らに発しているわけです。

『努力の人』なんて言葉で片付けられない、ある種の『狂人』なんでしょう。

一体どれほどの人間が、自分のやっていることに「狂える」のでしょうか?


恥や外聞をかなぐり捨て、批判や罵倒を一身に受け、不安を抱えながら孤独な道を本当に進み続けられるのでしょうか?

才能がある人なら何年か何十年、続くかもしれません。でもおそらく、多勢の人間が無理でしょう。

本当にやりたいことを「やる!」と言って飛び出しても、今まで露わにならなかった社会の残酷さに直面し、今まで自分が何かに守られていたことが露呈し、打ちのめされ、やりたかったことが蜃気楼のように消え去り、何かをやるわけでもなく、諦めるわけでもなく、言い訳をしながら日々を漂う中で、気づくのです。

夢を持って自分の「猛」を発して、意気揚々と道を歩みだした時、そこは間違いなく「point of no return(引き返せないところ)」だったんだと。

スタートラインは同時に引き返せない到達点にもなるのです。始まるとともに終わっていくんです。ずっと続く道なんてない。


一番難しいことは、終わりや区切りをつけること。終わりや区切りを付けないと、次に挑む気力って回復しないんです。きっと松蔭も安室ちゃんも、それを知っていたのでしょう。

物事にいちばん大事なことは「区切りと終わりをどこに置くのか?」ということだと思っています。好きなことをやっていても、惰性では意味がない。猛を発するために狂えなければ、何かを変えることも、人に何かを残すことも出来ないと思うのです。

そして人間は狂い続けられない。

この観点から、僕は今回の安室ちゃんの引退表明がマジで凄いと思うのです。山口百恵さんみたいに、気持ちを優先させての引退ではなく、衆人のための「安室奈美恵」に終わりを付けられる安室ちゃんの自己分析力と決断力に脱帽です。

挫折も後悔も諦めも、すべてが現状を見直すターニングポイント。


現状で出来ることに落ち着き、今やっていることを深化させることに腹をくくるのか、こんなもんじゃないと奮い立って、夢に向かって果断の努力を重ねていくのか。


はたまた、絶望を抱いて停滞し、すべてに呪詛と言い訳を吐きながら厭世的に生きるのか。

僕は好きで「物書き」の道を選びました。きちんと終わりを意識し、ある程度の区切りを自らの道に付けて邁進したいと思います。

今現在も「point of no return」だと思い、日々を傲ること無く邁進して生きていこうと戒める今日このごろ。


どんなドラマや映画よりも、現実に生きている人間のストーリーの方が面白い。そこにどんなフィクションを混ぜるのかが、作家としてのセンスだというポリシーを持っているのです。そのために行動をするのみ。



演出家としての技法を磨くなら映画などの作品を見たほうが良いのかもしれないけど、僕は物書きとして生きていきたい。


物書きのセンスを磨くのは、どれだけ好奇心を持って物事に接し、どんな角度で切り取っていくのか、そして、どれだけの作品を書いていくのかに尽きるのではないかと思うのです。


「作家なら言い訳しないで書け!完結しろ!そして否定されろ!」と思うわけです。がたがた言うのは批評家で充分。

僕のネタ探しのスタイルはフィールドワーク。


街を歩いて感じたことを調べて脚色したり、裁判傍聴で容疑者の主張を聴いて、勝手にその人たちの生立ちを描き下ろしてみたり。カフェやパチンコ、酒場などでの会話に耳を立ててみたり。簡単に言うと人間の悲喜こもごもにどんだけ触れられるかってのが大事ってことです。

今週やっていたことを完結に記せば、ホームレスの生活が知りたかったので実際にホームレスやってました。結論、彼らは村社会を形成していて、相互扶助の精神で生きており、案外不自由してなかったことが知れました。

饐えた体臭と食い物の臭いを漂わせながら、昔の武勇伝をつまみに酒を食らう諸先輩方の話に呵呵笑いしながら、真面目にバカなことをするのが後どれくらい許されるのだろうと感じた今日このごろ。神よ、どうか、私とワルツを。

では、また!


しばらく書いていなかった。


毎日続けなければ、日記ではない。


日記の価値はその連続性と、その日に感じた感性と視点の保持、日々を振り返ることで自分自身の立ち位置を確認するためにある。


約一か月も空いてしまったら、それは落書き帳と言っても語弊はない。


しかし、落書き帳にも、その気ままさに何かしらの価値があるのではないだろうか?



そう信じて、今日を振り返ってみる。




今日は私のターニングポイントになる日だ。
なぜか?今日から約半年間、シナリオを学ぶために学校に通うことにしたのだ。
この日を迎えるため、私は8月に会社に掛け合い、毎週水曜に早上がりをさせてもらえるように根回しし、会う人すべてに通うことをアピールし、意思が弱い自分を追い込んでいた。




その大事な日に、私は死にかけていた。


前日に、友人と朝4:30まで語り合ってしまった。そして、3時間前倒しの起床をしなければならない。一日に、最低8時間は寝ないと調子が出ない私にとって、寝不足というだけで、その日は覚醒することはない。
そして中途半端なタイミングで、数十分寝落ちして、この時間になると元気になる。
今日寝落ちしたのは、講義中に20分。2時間の講義で、6分の1を無駄にしてしまった。
この可能性もあったので、コーヒーやガムなどを用いて、何とか眠気と闘ってはみたが、結果こうなってしまった。
最後の最後で、自分自身に負けてしまった。




最悪な1日だ。



しかし、この最悪な状態でも、創作者の面で見るといいこともある。
覚醒しきれていないということは、自我が抑えられている状態で、目に映るものすべてをフラットに受け止められる。


今日思ったことは、「あなたは何ものですか?」についてだ。
英語にしたら、「WHO ARE YOU?」。
疑問を抱いたのは、自己紹介をしたのがきっかけだ。


この問いに答えられる人間がどれほどいるのであろうか?


ためしに、ゲストハウスに住んでいる友達に「WHO ARE YOU?」と聞いてみた。
普通に名前を答えてきた。
それは間違いではない。「お前は何ものだ?」って聞いてるのだから、名前を答えるのは至極まっとうだろう。


だが、私は違和感を覚えた。


“何者”という言葉に、名を訊ねる意が含まれるとは思わない。
“何をする者”かを問うていると思うのだ。


自分は何者なのか?
私も答えられない。
人に「何をする人?」と聞かれたら、ライター業をしているので「ライター」と答える。そうすれば、相手が自分の持つ“ライター”へのイメージで勝手に私を判断してくれる。
だが、ライターという肩書を取ったら私は何になるのか?


その問いに対し、名で答える人は、社会的職業から一時的、あるいは長期間離れている状態だから名で答えるのであろう。
では、名を奪ったらどうなるのか?


名は、多から個を区別するための便宜的なものであり、国籍や人種を分け、親族のつながりを証明する“記号”である。
その記号は、自分の意思で変えることができるほど平易なものだ。


名を奪い、社会的地位を奪った時、人は「あなたは何もの?」という問いになんて答えるのであろうか?
自分がなりたい状態をいうのであろうか。それとも、社会に与えている状態を答えるのであろうか。


もし、そんな状況になった時、「何もの?」という問いに、私は「何かを残したいもの」と答える。



「あなたは何もの?」という問いに、人々が臆面なく「私は○○をしたい者」や「私は○○をしているもの」と、職業に捕らわれず“自分”が成したいことを述べられる時代が来たら、それは、コミュニケーションのあり方が一歩進化するのではないだろうか。
そのような未来も悪くないと思う。



そして、そんな気付きを得られただけでも、私の覚醒しきれなかった10月12日も悪い1日で終わらせずに済んだわけだ。
昨日は会社を休んだ。
寝坊したのに、風邪引いたとウソをついて。

今日、マジで風邪を引いて、会社を早退した。
これはカルマなのであろう

40分後。
早退した私は、住んでいる町の駅には降りず、高田馬場にいた。
今日は7の付く日。
パチンコを打つ気満々である。  

これもカルマなのであろう。

私の前世はきっと、勤勉で無欲な人間だったのであろう。
でなければ、こんなに怠惰で欲にまみれた人間なはずはない。

そうであってほしい。

あ、当たった。