社会人になり、安価な生活費で過ごしていた寮生活を、
借金で一人暮らしを始めたのが9月。
当時つきあっていた彼女も家に呼べるし、調子に乗っている生活だった。
生活費は、会社からの住宅手当もあり、貯金をしなければ、
なんとなく暮らしていける状況だった。
しかし、この時点でもパチンコ、パチスロといったギャンブルは
毎週とは言わないまでも、月に何度かは行っていたし、
そこで負ければ、生活費に対して借金をするという最悪な悪循環に入る。
さらに、彼女とのデート代も見栄を張り、自分が主体的に支払っていた。
結局、このお金も借金である。
本当に馬鹿なことをしていた。金銭感覚が麻痺していた。
一応、大企業に就職していたし、数年後には収入が倍になって、
ボーナスで一括返済できるだろう、など、仕事の大変さが比例することなんて
思いもよらず、一人暮らしを満喫していた。
ただ、仕事に関しては、一人暮らしをはじめて少し経った頃に限界を迎え始める。
もともとパソコン関連が好きだったので、SE的な営業は大丈夫だろうと考えていたが、
プロとして仕事をする場合には、趣味程度の知識だけではもちろん太刀打ちできない、
自分の時間も使って勉強をしなくてはいけないが、適当に生きていた自分は
仕事の時間とプライベートを完全に分けていた。
ワークライフバランスの甘い部分だけを認識していたのだ。
本来、ワークライフバランスは、ワークをしっかりと全うした上で
ライフに対する自由な時間をつくりあげることができるのに。。
教育担当でもあった関西弁の上司は、プロとして厳しい指導をしてくれた。
今、自分がマネージャ(管理職)の立場になって本当に思うが、
自分のことを思っての細かい指導だったのが。
資料づくりにおけるフォントの統一感、文体、カタカナ語の意味、熟語の意味など、
メール返信の際のマナーなど、本当に細かった。
まぁ、一部パワハラのような発言もあったが、それはおいておいて。
ある程度器用になんでもそつなくやれていた自分としては、
若かったし、なぜそこまでいわれなければいけないんだ、ということと、
なぜ自分がそんなことも気づかず、できないんだ、という悔しさが、
日に日に自分の心をマイナスの方に追いやっていった。
極めつけは、あるプレゼン資料を作成するときに、21時過ぎまで残業、
作成してチェックを受けるも何度も出しなおし、
付き合ってくれる上司に対しても申し訳なく、自分ができないことで
なんだか泣けてしまった。
このあたりで、自分の仕事継続の糸がぷつんと切れてしまった感じがした。
これが12月のこと、初のボーナスが振り込まれて、借金返済にあてても
少し余裕があったタイミング、年末に実家に帰って、両親に退職の意向を告げた。
ストレスが重なり、暴飲暴食で生活も不規則になったことも、
自分の考えをマイナスにもっていく要因でもあった。
借金の額なんて関係なく、人はあっさり仕事を辞めることができ、
その瞬間に、定常的に入る収入や、将来もらえるだろう昇給後の収入がなくなる、
ということを実感した。
冬休みあけた年明けに上司に退職の意向を示した。
理由は、他にやりたいことができた、という理由に統一したが、
当時の上司としては、指導がきつかったのでは、、と思っていたかもしれない。
その5の教訓
今の仕事が借金返済完了まで続くとは限らない。
返済の目処は簡単には立たないし、当人は立てれない。