善に生まれ、悪に生き、また善に帰るとき人は一生を理解する。

 

親は子を思い沢山の指導をする。

 

親の言いつけを守り、親を思い、親もまた子を思い。

 

上手くいっていたときは自然体だった。

 

仕事のみ、仕事の立ち振る舞い、言動、姿勢に気を付け自然と目標を

 

設定し、周りもそれに答えてくれた。

 

一番の違いは悪口を言っていたこと。

 

上手くいかなくなり、立派な人のマネをして、なるべく人に良くする事を頑張っていた。

 

ただ、言葉の抑揚や、言葉の真意は人それぞれ念のこめ方が違う。

 

本音と建て前を仕事と割り切って使えていた。

 

上手くいかなくなり、きれいな言葉をチョイスするようにしたり、天真爛漫に素直を

 

演じてみたり。

 

人に救いを求めて、色々な人と関わってみたけど、自分と他人はどうも違うらしい

 

という事に気づいた。

 

親の教育も、エビデンスの無さから全てを否定したけど、

今、色々な経験をして、彼らなりに稼げるように子供のころからいろいろしつけてくれてたんだなと実感する。お使いに行けばお小遣いをくれた母親。

夫婦喧嘩してまで高い塾に行かせてくれていたこと。

家族全員がそんな形でしっかり教育を受けていたこと。

自分以外はある程度裕福な生活をしている結果が全てかなと。

石にかじりついても絶対に諦めきれないのは、昔から決まっていたことなんだと

体で理解したら、ふっと、肩の力が抜けて、いわゆる引き寄せの法則と言われるもの

をやっと全て理解出来た確信がある。

頑なに数字に固執してもダメだし、夢に執着しすぎてもダメ。

執着を柔らかく、感情を観察しながら軽く目標にする感じというか。

 

現実の世界のルールに従って、肩の力を抜いて狙ってから打つ。

6人目の右腕はどこまで成長するか。

昔から恥ずかしがりやな自分は神輿になるより、責任の所在があやふやな

場所の方が策士として動きやすい。

この行動をとれば、こうなる、って延々と考えたいタイプなので常にお化けが必要。

交渉の一瞬は、迷いがある方が負けるから。

針の穴を通す掛け合いは気を抜くうんぬんより、情報過多の処理の容量とスピードが

全て。

そして金額の大きくなる取引では、人はいくらでも考え抜く。

その考えの総量が契約行為というもの。

容量、可能性、欲、人間性、縁、必要性の定義、アプローチ角度、ソフトランディングを選ぶか

運命を演出してハードランディングを選ぶか。

ギリギリの駆け引きの中では良心など皆無。全てのお客様が全力で嘘つきになる場所。

力とは三つ。暴力と嘘と善意の演出。

そんな世界に長年いれば、下の世界に降りたら、そりゃどいつもこいつもゴミか虫にしか見えない。

駆け引きが下手な馬鹿女、顔に全て書いてある人相の悪い男、自己保身全開の弱い人間。

学歴もコネもまともな教育を受けてない高卒を助けようとしたってどいつもこいとも大金を前に

本性を現す。

人は育ちが全て。自分の立ち位置を再確認しながら投資家としてやるべき事、自分の人生を

綺麗だと思うもの、事、振る舞い、住居、所有物、結婚相手、素敵だと思えるものだけを周りに

配置する為に努力していく、それが幸せへの歩み。

善に生まれ悪落ちしてこれからがまた善に帰るとき。

収益設計が走り出した記念。