takumaのブログ

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だいぶ前になるが、以前のブログで、

 

「成長・拡大と共に創造力を失った企業」「近代化と共に人間性を喪失したコミュニティ」

 

というタイトルのもと、現代の社会の衰退を書きました。

 

そして、人間にとっては、

 

「自分自身が世の中とどう関わっているのか(帰属意識)」

を頭で心で分かっていることが、何よりも大切であると考えている。

 

○ちゃんと自分は相手に、世の中に貢献できているな、力になっているんだなと実感して肯定できること。

○一方で、自分が生きている・仕事をする中で、色々な人・ものと繋がって支えられているということを分かって、感謝できること。

 

これがないと、自分が空っぽになる。

近代化の過程においては、そうした実感が得にくくなる。

 

 

と書きました。

人間の幸せの本質は、ここにあると仮定しています。

 

 

そして、上記を実現しつつ経済・社会活動を持続する為に、社会に対して取り組むべきテーマ・コンセプトとして、

次の6つを考えています。(以下、唐突、レイヤーばらばらですが・・・)


1.行政と企業任せで、奴隷化した市民からの脱却。自立した市民:当事者意識と、自治の復活。


・地域の課題を、市民を巻き込んで解決していく

・自分達のことは、自分達で(行政や企業に任せずに)やる

・小規模コミュニティの強み。都会では出来ない自治


 

2.行政・企業・NPO・学校・市民・・・等のセクター間で、社会構造の分断・縦割りをしない。連携・融合したがコミュニティ・社構築。


・個人が複数の顔・役割、全てプロフェッショナルとして担う

・サービスの提供側と受給側の境界線がなくなる

・国や企業に譲渡した機能を、個人・家庭・地域に戻す


 

3.貨幣経済至上主義から、非貨幣経済・贈与経済との調和。


・自給自足・贈与経済の復活

・グローバル経済とローカル経済のグラデーション化

・グローバル人材になることのリスク


 

4.自己啓発一辺倒でなく、コミュニティへの接点・関係性を深めることによる帰属感も重視したアイデンティティ形成


・住んでいる地域への誇り

・社会の構造・経済モデルを知る

・自然と共に暮らす


 

5.新しい経済のモデルを各分野でつくる:食・住・衣・情報・趣味・貨幣・仕事雇用、医療、健康、教育、政治、法律、企業の経営思想


・各業界でのイノベーション。

・地方だから出来る教育。その地域で生きていくのに必要な共育

・経営思想の変革


 

6.新しい宗教・思想を生み出す:キリスト教・イスラム教・仏教を超越した教え


・思想の変革

・新しい宗教を生み出す

・人間が、自然・天地の領域には踏み込まない

 


 

それぞれのテーマについて、アクションを起こしていくことが、

今後の人生で取り組むことであり、

それが実現した姿を、生きている間に見ることが出来たら、

とてつもなく胸が高鳴るんだと思う。



「成長・拡大と共に創造力を失った企業」「近代化と共に人間性を喪失したコミュニティ」

 

 

企業でよく挙げられる問題と、

現代の社会問題(都市・地域等の大小のコミュニティが抱える問題)

は、極めて類似していると感じています。

 

 

【創造力を失っていく企業】

創業したての企業において重要なことは、

・とにもかくにも顧客の確保

・市場で勝負できる商品の開発

を進め、事業の継続性を高めて、安定的な収益をあげることだと思う。

 

そんな中、集まった社長・創業メンバー達は、当然高い志を持ち、事業に取り組みます。

 

・企業の存在意義・事業が生み出す価値を理解・共感している

・商品開発~営業~納品~アフターフォローに到るまで、全メンバーが関与する

・変化が激しい中、社内の情報伝達が広く早く行われて、共通の情報・認識を土台として議論する

・全メンバーが、社内のあらゆる問題に対する問題意識・当事者意識を持てる

 

といった状況にあります。

その結果、顧客の信頼を勝ち得て、市場でのブランドを築き、事業拡大が実現します。

拡大期では当然、「ひと」も増えて、組織が大きくなっていきます。

 

結果、たくさんの仕事を、カテゴリーに分けて、

カテゴリーごとに、その専門の人が担当することになる。

 

「分業」です。

分業をして、それぞれが専門性を高めて、パフォーマンスの最大化・効率化を

図ることで、事業は益々拡大する。

 

その一方で、組織内部では、以下のことが発生していく。

 

・事業スキーム上の一部の仕事のみを担当する為、自分の仕事がどのように会社に貢献できているのかが分からない。自社の事業の社会的意義が、実感しにくい。

・定型的な業務・オペレーションが、仕事の大半を占めており、同じことの繰り返しで、考えずに、作業する習慣が生まれていく

・自分の担当業務・部門に意識が集中し、他部門や全体的な視点が欠けていく。

・組織が大きくなったことで、情報の硬直化が起きる。経営情報・方針が社内に行き渡らない。現場の情報が吸い上げられない。結果、置かれた環境や戦略への対応が遅れる。

・綿密な事業計画のもと、計画=短期目標を達成することが最大の正義となり、短期視点となる。長期的な展望や抜本的な改革がやり過ごしになる。

 

 

 

【人間性を喪失したコミュニティ】

いわゆるコミュニティ・共同体というものの起源、いつから始まったかということは、

厳密には分からないけれど、狩猟採集スタイルが初期の生活スタイルであったと思う。

以降、狩猟採集⇒農耕生活⇒工業化⇒情報化・・・

といった流れを遂げてきた。

 

その過程における変化の意味は、「安定して生きる手段の変化」であったと思う。

食べるものがなければ生きられないし、生まれて直ぐに病気になれば生きられる確率が極端に下がってしまう。

 

初期の生活スタイルを追っていくと、以下のようになる。

 

・自分の生活範囲が限られており、数十~数百名からなる集団内の人間、集団が暮らす土地が生活の基盤となる

・集団内で誰がどんな人で、何をしているか・得意か等を、お互いに把握している

・自分の生活を取り巻くもの(食べ物、服、家、交友関係)は、所属する集団内で完結している。集団の誰とどのように自分が関わっているかが、分かり易い。

・生きていく為に、集団内のみんなで協力して、家を建てたり、狩に行ったりする。

・個人が、特定のことだけでなく、集団内の多様な機能を担っている。家も建てるし狩もするし(生産)、ご飯も作って食べるし(消費)、子供に狩の仕方を教えるし(教育)、集団の問題解決をする(行政)。

・集団以外に助けてくれる人間はいなく、自然環境等により生活上の危険が生まれる可能性が高いので、困った時には互いに助け合う必要がある。

 

 

次第に農業や工業が発展していくと、安定した生活ができるようになるので、

生命維持が容易になり、数十~数百の集団でいることの必要性、集団内で助けあうことの必要性がなくなっていく。そして、農業・工業といった社会システムの中での、「分業」が進み、以下のような動きになる。

 

・生活の基盤が、大きな単位(部族)から、小さな単位(親類・家族)になっていく一方で生活範囲は、長距離移動・交易範囲が広がることで、規模が大きくなっていく。

・それぞれの生活単位・世帯によって、担う機能が異なっていく。農業をする人、魚をとる人、収穫したものを集めて売る人。と、それぞれ分かれていく。

・大きな生活範囲の中で、自分が知らない人が作った野菜を食べたり、自分が獲った魚がどこで消費されているかが分からず、自分と世の中の関わりが分からなくなる。

・自分が担っている仕事・機能についてのみ詳しくなり、他のことへの関心・意識は薄れる。自分の生活単位(親類・家族)のことが第一で、他の人や全体への意識が薄れていく。

・集団内で縦割りになっていて、個々によって状況や考え方の違いが大きくなり、何かを変えようとして話し合っても、意見がぶつかるだけ、方向性が見えない。変えられない。

 

 

 

近代化の主要な担い手が企業であるので、

企業が辿る過程と、コミュニティが辿る過程が似通うのは、

当然といえば、当然のことかもしれません。

 

上記にあげたような、現代に起こっている企業の課題、コミュニティの課題を、

突き詰めて、本質を見抜けば、21世紀の社会の突破口が見えるはず。

 

僕は、企業が拡大することも、世の中が近代化して、

物が充実すること、暮らしが便利になることは否定しないし、

とても良いことだと思う。

立派な家があって、交通手段が充実して、食べたい時に食べたいものを頂ける暮らしは、

ほんとうにすごいことだと思う。

 

 

けれど、その中で、

「自分自身が世の中とどう関わっているのか」

を頭で心で分かっていることが、何よりも大切であると考えている。

 

○ちゃんと自分は相手に、世の中に貢献できているな、力になっているんだなと実感して肯定できること。

○一方で、自分が生きている・仕事をする中で、色々な人・ものと繋がって支えられているということを分かって、感謝できること。

 

 

これがないと、自分が空っぽになる。

近代化の過程においては、そうした実感が得にくくなる。

そのことを前提として、実感をもてるように戦略・施策を立案して、経営・マネジメントする必要がある。

 

うまくやっている企業内では、その辺りの施策が絶妙で、拡大したとしても、

創業したての志・意欲が高いような状態で、社員が働き、会社も安定して成長する。

 

 

では、社会全体は、コミュニティはどうするのか?

人間の内面に、精神性を主眼に置いて、社会のあり方・社会の構想を

描かないといけないはずだ。

 

人類の長い歴史の中での大きな教訓として、上記の真実を受け止めて、

これから歩んでいかないといけないな!!

4月。
新入社員の姿が目立ちます。
彼、彼女が、これから配属され、組織に新たな風を吹かせ、
欠かせない存在となっていくのを想像してしまいます。



私は、後輩のある新入社員から学んだことを、今も大切にしています。


私は、彼が入社してきてから、とても期待していました。
(この期待が後に問題となります)


彼は、

・純粋な心で、「どういう仕事がしたいか・お客様とどう向き合うべきか」自分の軸を持っている
・その気持ち・考えを、隠すことなくストレートにチームに意見できる
・人の意見を素直に受け止めて、反省・感謝ができる

とても好感のもてる新入社員でした。


一緒に話していても気持ちよく、意識の高い彼とは
「もっといい仕事をしよう」「もっといい組織になろう」
と同じ目標を描いていました。
私は、とても嬉しい気持ちでいました。
一緒に仕事を順調に進め、関係性も築いていたと思います。



ところが、
私は彼に対して、マイナスの感情を持つようになっていきます。

いろいろな仕事が佳境を迎える中で、
彼の日々の行動が、自分の期待している姿とはかけ離れていったからです。


仕事への取組み姿勢や、発言内容、実際のパフォーマンスと、物足りなく感じていました。
“一体何をやってるんだ!”と、心の中で怒りの感情が芽生えていました。


当然、会話量もどんどん減っていきました。

彼も、私をさけていったように思います。
怒り向き出しでいるので当然です。



仕事が一段落したところで、
このままはヤだなぁと感じていたので、
久々に彼を呼び出し、2人で話すことにしました。



ずっと長いこと、彼にイライラしていました。
いざ、2人で会う約束をし、
もちろん、その怒りを本人に直接ぶつける気満々でいました。


“どんな風に伝えようか”
“どう伝えれば、自分がどれだけ怒っているかがよく伝わるだろうか”


そんなことばかりを考えていたのですが、
ある時ふと思いました。

「彼は、この数か月間、何を感じてきたのだろうか?」


私が抱いてた怒り。
それは極めて一方的なものでした。
彼自身のことは無視していたのです。



彼と会い話す時、以下のように伝えました。

「君には、すごく期待していた。
だから、その期待と離れた姿を見て、すごく怒りを覚えた


・・・・


けど、その怒りはあくまで私の一方的な感情であって、
君が何を思い、何を感じていたかを、私は一切知らない。
だから、もし良ければ、この数か月間のことを話してくれないか」と。



彼は、数か月間の悩み、苦しんだこと、うまくいかない現実の中での葛藤を、教えてくれました。

聞いていて、
「それは、甘いだろ」と思うこともあった一方、
「俺はなんにも分かっていなかったな」と省みることが多々ありました。




当時を振り返れば、

「彼のあるべき姿はこうだ」
「彼は、もっと出来る、出来なきゃいけない」

と、あるべき論をふりかざし、

「俺は、彼のことをよく理解している」
「俺は、彼の成長を本気で考えている」
「俺が、彼を育てるんだ」

と、驕りがあったように思います。


これはこれで間違っていない部分もあったと思いますが、
自分の心は彼自身には向かっていなかったことは事実です。


自分の想い・考えはもちろん大事ですが、
相手にも同じように胸に抱いていることがあるはずです。

一方的に伝えるだけでなく、
相手の立場になってみる、耳を傾ける大切さを学んだ経験でした。


「相手を思いやる」
「相手を信頼する」

ということは、チームで働く上で、しばしば重要視されます。
しかし、どんなに強く意識をしても、中々実践するのは難しい、
という経験は誰しもがあるはずです。


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私は、何年か前に担当していた、あるプロジェクトを思い出します。
そのプロジェクトでは、私とAさんの2人が責任者を務めていました。


プロジェクトが佳境に入る頃、
私はある感情をAさんに持ち始めていました。


それは、

【怒り】

です。



当時、私の心の中では次のようなことを思っていました。


「Aさんは、今のプロジェクトの課題を全く分かっていない
A
さんは、臨機応変な動きが全然できていない
A
さんは、メンバーが何を求めているかが、見えていない
A
さんは、リーダーがどうあるべきか分かっていない
A
さんは、いちいち話が長くて、聞き手が理解できない・・・etc」



字のごとく、「~~ない」ずくしです。



当時は、想定外のトラブルが立て続けに起きた為、
難しい対応が続き、ストレスフルな日々が続いていました。


A
さんに対して、表面上では、それなりの対応をしていましたが、
心の内では、上述のようなイライラが積もりに積もっていました。



ただ、まだまだプロジェクトの山場がいくつも控えている状況でした。
このままじゃ、やばいな~と思い、いろいろと考えを巡らすことにしました。
どうすれば、よくなるのだろうかと。



何日か経った時に、ふと、あることを、思いつきました。

特に前ぶれがあったわけでなく、

「Aさんだから出来ていること、
A
さんにしてもらっていること、って何だろう?」


と考えみることにしました。


「Aさんは、誰よりもプロジェクトに対する強い気持ちを持っている
それはメンバーの皆も分かっていることで、自分自身も突き動かされている
PC
が得意で、資料作成や分析等では、助けてもらっている
ユニークなキャラクターで、いつもチームを盛り上げてくれている・・・etc」



いくつか挙げているうちに、

「こう考えてみると、Aさんのお陰で出来ていることって、以外とあるな」

そんな気持ちになりました。

すると、自然とAさんへ感謝している自分がいました。
同時にAさんを責めることで、いきり立っていた感情も落ち着いていきました。



「よし、この気持ちを伝えた上で、
どうしたらもっと良い連携をしていけるか
A
さんと話そう!」

と決め、Aさんを誘って会話する機会を設けたのです。


A
さんと話してみたら、
「どう組織をリードしていけばいいのか?
自分がうまく貢献できていないのではないか?
メンバーから信頼されてないのではないか?」
と、Aさん自身も悩んでいることが分かりました。

私はAさんに感謝している点を伝えた上で、
色々と良い方法は何かを議論し、
一緒に模索しながらチーム運営を進めていこう!
と、心を1つにしました。


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当時を振り返ってみて、
ターニングポイントとなったのは、

「Aさんだから出来ていること、Aさんにしてもらっていること、って何だろう?」


という見方をできたことにつきます。
「Aさんを思いやろう、Aさんを信頼しよう」
と、どんなに頭の中で思っていても、状況は変わらなかったように思います。


ふと、意識ではなく、「具体的に何を捉えるか・考えるか」という見方に
着目できたことが大きかったのは、間違いありません。



メンバーが持っている特性や、その違いに着目する見方が
チームワークの高い躍動感ある組織を実現するのでしょう。



チーム内において、互いを尊敬し合うことが重要であり、
何を尊敬すべきかというと、
自分との“違い”を尊敬することが大切である。
 

(
ボビー・バレンタイン プロ野球監督:千葉ロッテ・ニューヨークメッツ等を歴任)

 

日ごろ、生活していると、様々な定義やルールに接することになります。


赤信号では渡らない。
ダイヤに合わせて、電車は到着する。

社員は、始業時刻までに出社する。



その定義・ルールを守れた場合には便益が保障され、
守れなかった場合には、罰則が与えられるというのが、
いま生活している世の中での普遍的な考え方です。



人事領域においては、等級・役職や評価項目が、社員に課された定義です。
定義を果たせたかどうかで、お給料や格付けが、上がったり下がったりします。


定義があるお陰で、一定レベルを担保することには貢献できています。

しかし、「本人が定義をどう認識しているか」という視点を持っておく必要があります。


本人が、定義されたことについて、
“それを大事にしたい・それを実現したい”という気持ちがなければ、
そもそもの定義の意味は弱まります。


罰則によって、最低レベルは保てても、更に良くしていくことが難しいです。

もっと言ってしまえば、本人が罰則を受け入れてしまえば、
どんなに崇高な定義をしたとしても、その定義の内容が実現されることはないわけです。



「定義づけして、それが出来たか・出来ないかを裁く」
という考え方は、終焉すると思っています。

本人の中に意志・信念があることが問われていくのではないでしょうか。