毒親に人生を乗っ取られた人は、40歳になっても50歳になっても呪縛から解き放たれることはありません。精神科外来には、そんな年齢になっても未だ尚、親との関係に苦しむ人たちが続々やってきます。中には70歳の女性が100歳近い母親への恨みつらみで受診することもある。精神科医として最も問題にしたいのは、そういう人の中に必ず「親を殺したい」「殺そうと思ってる」と吐露する人がいることです。実の子どもに<親を殺そうと思う地獄>を味わせる親というのは親じゃありません。親という漢字をよく見てください。私個人は、そんな親のために犯罪者にならないでほしいという気持ちしかありません。人生を台無しにした親にトドメを刺すという形で自分の人生にもトドメを刺すなんて、そんな地獄の選択を味わって欲しくない。それくらいなら、

息子さんをこんなふうにしたのは、お母さん、あなたですよ

と私が言ってあげる。無自覚な犯罪者に罪を自覚させるのは精神科医の仕事ではないのですが。しかし私が精神科医になった理由は、親から激しい暴力を受け続けたことで人生を大きく狂わされた初恋の男子タク君ですから、自分の子どもに虐待を加える親を看過できないしするつもりもありません。地獄の日々を味わい続けてきた子どもが、無自覚な親を殺すという究極の地獄をみる事態だけは絶対に避けさせたい。それくらいなら親の手を切り落とし、自立して欲しいのです。

あんたなんか死ねばいいのよ

このセリフは24年前「恋の奇跡」というドラマで主演の菅野美穂さんが、自分を虐待し続けた母親に向かって放ったセリフです。私はこの時の菅野美穂さんの表情を忘れることができません。

あんたなんか母親じゃない。ただの薄汚れたシミよ!消し去ったはずの心の片隅に、母親を思う気持ちが残ってた。シミみたいにね。その弱みにつけ込まれて、、、

彼女は自分を虐待する母親から逃げ、ひとりで生きる道を選び、這いつくばりながらも懸命に生きてきました。しかし女優となり有名になったせいで、その母親が再び姿を現し、謝罪し親子をやり直すチャンスが欲しいと懇願した。悲しいことに、ここで彼女は悪魔を許してしまったのです。案の定、悪魔は更につけ込み、今度は実の娘から大金を盗み、若い男と逃亡してしまうという、、、。悪魔はどこまで行っても悪魔でしかないということです。

ところが、
子どもというのはどれだけ酷い目に遭い親を憎んでも「親を思う気持ち」を手放すことができないものです。「消し去ったはずの心の片隅に母親を思う気持ちが残っていた」というのはそういう意味です。子どもの親に対する一縷の希望とでも言いましょうか。もしかしたら次こそは自分を愛してくれるかもしれないという望みです。そんなふうに子どもというものは、純粋に、親に愛情を乞う生き物なのです。そんなことも知らずに親になった悪魔は、その純粋さを踏み躙り、泥をぶちまけ汚し、暴力や支配によって子どもの人生を滅茶苦茶にする。そんな悪魔を、子どもはどうすればいいのでしょうか。

しがみつこうとする親の腕を同時に一瞬で切り落とすしかありません。

「そのうち」とか「だんだんと」などと言っていたら、悪魔は必ず追い討ちをかけ、子どもを更に苦しめます。それ以上苦しめられれば「親を殺す」という地獄の選択が待っている。それを回避するには、心のシミもろとも親の腕を切り落とすしかないのです。