林修先生の「受験必要論」は「自分の頭で考える」ための土壌になる本です。我が子の受験なると、親はついつい目先の成果に気を取られ、ものの見方が狭小となり、手軽なノウハウに飛びつきがちです。しかし他人のノウハウをそっくりそのまま我が子に当てはめることはできないことは、林修先生をはじめ多くの受験のプロの先生方が強調している通りです。従って、親は手軽なノウハウ本でなく、このような俯瞰本を繰り返し読み、自分の頭で考えるための価値観や主義を知る必要があります。

本の冒頭で、林修氏の「受験」に対する考え方が紹介されています。「最初に、受験とは何か?についてお聞かせください」という質問に対し、林修氏が述べた部分を引用します。
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まず「受験が出来ることは特権的なことである」。これは全ての受験生に心しておいてほしいと思います。世の中には受験することを許される人と許されない人がいます。大学に行きたかったけれども家庭の事情で行けなかった人、特に最近は経済的な理由で受験したいけれどもできない、そういう人がたくさんいる中で、受験できること自体が特権的なことであるんです。
そもそも勉強できるということは贅沢なことなんです。しなければ生きていけない、たとえば食事だったり睡眠だったりとは全然次元が違うことで、全ての人に本当に必要かどうかは疑わしい。なのにそれをやらせてもらえるということは、非常に恵まれていることなんです。


いかがでしょうか。受験というと、とかく「苦しさ」ばかりが強調されがちですが、実際、広く世の中を見渡すと、受験勉強できること自体が幸運なのです。お恥ずかしいことに、私自身受験時代に自分の立場に感謝したことはありません。周りが皆、当たり前のように受験する状況に視野狭窄を起こしていたのです。しかし同じ受験生でもそのことに気づいている子はいます。

勉強だけしていられるなんて、こんな幸せなことはない。

このような気持ちで勉強に取り組む者と、「辛い、苦しい、嫌だ」と言って勉強している者の間に雲泥の差が出来るのは当然です。自己操縦感ひいては精神状態がまるっきり違うからです。こんな大事なことを認識せず「辛い、苦しい」と感じてばかりいるのは「大損」と言っても良いでしょう。人は考え方ひとつで、能動的精力的に行動できるのです。こういうことこそ、親が子どもに伝えるべきことです。勉強している割に成績が伸びない子の理由を検討分析する際、心の根底にある「感謝の気持ち」が大きく影響していることを忘れないでください。そして入試間近の子どもがいる親は、子どもが一息ついた時などに、素敵な笑顔でさりげなくこの話をしてあげてください。どのような言い方をするかは、ぜひご自分の頭で、料理の腕を振るう時みたいに考えてみてください。言い方伝え方を考え工夫するのは親の役割であり子育ての中核でもあります。ご存知佐藤ママはそこのところが長けていた。佐藤ママの「勉強して当たり前だよね」のセリフの真意は「勉強だけしていられるなんてこんな幸せなことないよね」だったのではないでしょうか。