人は自分で判断できるようになると、卑屈な隷属感からではなくやるべきことを進んでやる、あるいは義務として喜んでやるようになる。


私にとってこれは座右の銘です。そしてこの論理は、子どもが自発的に勉強をしないのは何故か、というテーマに直結しています。勉強しないのは、勉強に限らず生活のあちこちで「やらされている感」を感じているからです。「やらされている」感が募ると、人は自発的に動こうとしなくなる。大人でも例えば仕事を強制的されるとやりたくなくなるものです。心理的に未成熟な子どもなら尚更です。これを忘れてはいけません。


従って「勉強しなさい」「片付けなさい」「あーしなさい、こうしなさい」という命令は何の意味もないどころか百害あって一利なしです。それどころか子どもを不安に陥れ、ADHDでなくとも、落ち着きがなくなり、注意力が低下し、忘れ物やうっかりミスばかりするようになる。すると更に親から責め立てられ、自己肯定感や自己操縦感がどんどん削がれてしまうのです。