現代人の不安の中核は、本当の自分は注目され愛され居場所を持ち目的意識を培えるほど特別な素晴らしい人間ではないという意識です。平凡な人生には意味がないというメッセージの氾濫が、「私はこれでよい」と思えずに苦しむ人を増やしています。特に子どもたちがそういうメッセージを取り込みやすく、歪んだ価値観を抱きやすい。朝井リョウ氏の「何者」はそういう若者心理を克明に描いています。自分の価値はインスタやツイッターのフォロワーや「いいね」の数で決まるといった価値観に支配され、見ず知らずの人たちに気に入ってもらえるような発信、羨ましがられるような発信、目立つ発信をするのに躍起になり、表向きは仲良くしている友達を裏垢で批判したりコケ落とす。それもこれも「自分が平凡であることの不安」が元凶です。彼らの多くは、親から学力テストやスポーツ大会での成績や順位で評価され、結果を出さなければ誉められないといった扱いを受けています。学校の勉強やスポーツといったごく限られた領域での結果で誉められたり失望されたりしてきた。存在そのものを讃えられたり感謝されるといった経験を欠いているのです。だから躍起になって「何か」で評価されようとする。何者かになろうとするわけです。

人は皆、平凡であることの不安には弱いし、自分のしていることには意味があると信じたい。だがそれはともすれば、特別でありたいという欲求と区別がつかなくなる。セレブ文化の物差しで、自分の生活のみみっちさを計る誘惑にも駆られる。尊大な態度や特権意識、称賛への欲求が、平凡で無力であることの痛みを和らげるような気もしてくる。そうした思考や行動は結局のところ、痛みを悪化させ、人とのつながりを壊していくだけなのだ。

いかがでしょうか。10年前の本は10年後の今をかなり正確に予言しています。事実、歪んだ価値観を抱いた若者が、迷惑系ユーチューバーやスシローペロペロ少年に代表される迷惑行為を嬉々として行うその数は増加の一途です。迷惑を被った企業からの多額の賠償金請求は有効な抑止力になっていません。何故なら彼らの心理の根底には「平凡であることへの不安」があるからとブレネーブラウン氏は指摘しているのです。

ひとたび「平凡であることへの不安」に翻弄され始めると、周囲の目や周囲の評価にばかり注意が向くようになり自分自身に注意を向けることをしなくなります。結果や数字で判断するため自責や自己否定を募らせやすい。このような事態は単に「自己肯定感を高めればどうにかなる」といった単純な話ではありません。価値観そのものが歪んだ状態では自己肯定感もへったくれもないのです。