今回は、大学を卒業し会社で働き始めた息子をまるで小学校低学年の子どもを叱るみたいに頭ごなしに否定したり、気に入らない部分を指摘してはヒステリックに喚き散らす母親の横暴に従順に従い続けたせいで、強烈なアンビバレンツが生じ統合失調症のような症状が次から次へと現れ精神科に訪れ入院治療となった23歳男性の話です。

驚くことに、その男性は、そんな母親の振る舞いを「普通」のことだと長年思っていました。動画でインタビューを受けていた青年と同じです。母親の、滅茶苦茶な言動を「どの家庭にもあること」に違いないと思っていたのです。洗脳されていたと言っても良いでしょう。母親が自分を叱るのは、母親が正しく、自分が間違っているから仕方のないこととして長年受け入れてきたというのです。この抑圧はとんでもないレベルの抑圧です。拷問といって良いのではないでしょうか。普通なら我慢できず爆発するものです。実際うちの次男は小学校3年頃から爆発しまくっていました。今思えば、これこそが普通だったのです。小児科専門医で文教大学教授の成田奈緒子先生は、「反抗期はなければならない」と言っています。反抗期は、それまで親に完全に従属していた子どもの中に自我が芽生え育ち、自立を目指すシグナルなのです。ところがその青年は反抗期らしい反抗はなく、おとなしく従順でした。それだけ従順な息子に彼の母親は何故ずっと叱り続けてきたのか。理由は簡単で「自分の思い通りにならないから」です。子どもは親の思い通りにはなりません。ところが彼女は、子どもが親の思い通りにならないのは異常だと思っていた。親の思い通りになるのが正常と思っているから、思い通りにならない息子をとことん叱り飛ばし「悪い子」扱いし、そうしていればいつか思い通りになると信じていたわけです。

母親が面会に来るたび、決まってその男性は具合が悪くなり奇怪な症状が出ていました。しかし私はこれは統合失調症ではないと判断していたので薬を処方しませんでした。ある時、男性が頻回にナースコールしてさまざまな症状を訴えたため、ひとりのナースが1時間以上彼の話を傾聴してくれました。彼は「僕にはどこにも居場所がない」と言って号泣したそうです。

翌日、そのナースから報告を受けた私は、直ちに彼のところに向かい、話を聞きました。その頃にはすっかり落ち着いていて、開口一番、
看護師さんに救われました
と言ったのです。健全な反応です。感謝の気持ちを真っ直ぐ表明できたのですから。そして私とそのナースと彼の3人で話をしたところ、彼は「救われた」と何度も言い、入院時に比べ、格段に明瞭に喋るようになっていました。入院最初は声が小さすぎて、何を言っているのかを聞き取ることも難しかったのに。

長時間話を聞いてもらって、初めて、僕はここにいていいんだと感じることができました。どこにも居場所がないと思っていたのに、なんかちょっと変かもしれないけど、ここが僕の居場所というか、ちゃんと僕のことを見て話を聞いてくれる人がいて、、、こんなに安心したのは初めてです。

何ということでしょう。彼は20数年生きてきて、病院で初めて落ち着ける感覚を味わっていると言ったのです。人間にとって「落ち着ける場所」(心の安全基地)がいかに大事かということを、彼は今、初めて分かったと言い、嬉しそうに表情を綻ばせていました。とても無邪気で可愛らしい笑顔でした。

診察後、私はそのナースに深々と頭を下げ御礼を言いました。この男性患者が人生を逞しく生き抜くためにどうしても掴んでおかねばならない大事なことを掴むことができたのは、間違いなくそのナースが彼の話を傾聴してくれたからです。「話を聞く」は精神科医療の基本であり子育ての基本でもあります。そのナースにも小学生の子どもがいます。親が子どもにしなければならない<最も大事なこと>をちゃんとわかっているナースで助かりました。