小4男子です。勉強に対して主体性を持たせるにはどうしたら良いでしょうか?今のはわかったの?と聞くと、理解が十分でなくてもわかったわかったと返事をするような感じです。国語文章題や算数の苦手なところなど、自分から解こうと取り組む姿勢がなく悲しくなります

主体性を持たせるにはどうしたら良いでしょうか?という相談に佐藤ママは次のように答えています。

これはね、お母さんね、小学校4年生に主体性なんか求めたらだめですよ。主体性なんかあるわけないんだから。親はね、子どもが主体性を持ったら楽かもしれないけど、子どもに主体性なんかないですよ全然。18まで主体性はないと考えないと。子どもに主体性を持ってやってほしいと思うけど、ないです!

お気づきになりましたか?「ないです!」と強調しています。

今わかったの?って聞いた時に、わからないなんてなかなか言えないでしょ、お母さんに向かって、子どもって。お母さんの料理食べてね、この料理どうだったって、まずいって言いにくいのと同じですよ。それはね、わかったの?って聞く方がおかしいでしょう。わかったの?って聞くんだったら、ちょっとやり方説明してみて?とかいうふうに、具体的に聞かないとね。それは聞き方がおかしいっていうか、そんなこと聞いても意味がないっていうこととね、国語や算数の苦手なところを自分から取り組もうなんてするわけないじゃないですか。だって苦手ってことはわからないってことですよ。わからないのを自ら取り組むわけがないじゃないですか。どこから取り組んだらいいかわからないんだから。苦手ってことはわからないってことですよ。

いかがでしょうか。佐藤ママは、小学校4年生の子どもに主体性なんかあるわけない、という話以前に「わかったの?」と聞く方がおかしい、聞き方がおかしい、そんなことを聞いても意味がない、と強調しています。これは佐藤ママが子どもをよく観察していることに他なりません。よく観察しているから、その聞き方ではうまくいかないとわかるのです。小学校4年生の子に「わかったの?」と聞いてもまともな答えが返ってくるはずないと最初からわかってるのだから、そんな聞き方をするなという話です。そういう意味で「そんなことを聞いても意味がない」と強調しているのです。子どもの観察を怠るとこういうことが起こるという話です。その最たるが、

苦手ということはわからないということ

の部分です。大人でも苦手というのはわからないということなのに、この論理がわからないのは親として困ります。「苦手」=「わからない」なのに、主体性を求めるのは、これこそ理不尽ですよ。

子どもがわからなさそうにしているのを親が見逃してはいけません。「わからなさそうにしてるな」と感じたら「どこがわからないの?」と聞くのでなく「わからない部分を一緒に探そうか」とにこやかに言い、楽しそうに一緒に探す。探すというのは面白いことです。そしてそもそも、子どもの「わからない部分」を探すのが親の役割です。わからない子は「どこがわからないか」もわからないものですから。それを聞いても大して意味がありません。子どもを追い詰め、勉強嫌いにするのがオチです。