禅といえば、坐禅だ。じゃ、坐禅を組んでみようか。と言ったところで、どこに行ったらいいのか、とんとわからない。例えば、円覚寺に行って、「こんにちは。坐禅を組ませてください」と頼んだところで「はいはい、どうぞ」と気軽に言ってはくれない。あなたの近所でも坐禅を教えてくれる寺はないだろう。禅宗のお寺が、簡単に「はいはい、どうぞ」と言わないのは、坐禅は、1日や2日、1年や2年座ったとて、なかなか思うようにいかないからだ。じゃ、一般の人は「禅」には縁がないのか、ということになる。「世間禅」という禅語がある。何も、坐禅を組まなくても、禅はわかる。一般の人が日常生活を送る時、損をしたり、面子を汚されたり、無礼なことを言われたりして落ち込みそうになった時、「なーに、おれの命は大宇宙だ」と合掌して嫌なことをふっと吹き飛ばせば、それが禅なのだ。

いかがでしょうか。形式はどうでもいいからさっさとやってみましょうという話です。「正しい方法」にこだわるがあまり、迅速な行動をしない習慣を身につけてしまう方がよほどよろしくない。正しいかどうかはさておき、とりあえずやってみる。やりながら修正していけば良いのです。迅速な行動化ができず精神の具合を悪くする人がたくさんいるのは事実です。何でもかんでも「コスパ」や「最短距離」にこだわる風潮を全否定はしませんが、それで行動しないのは困ります。坐禅もマインドフルネスもそう大きな違いはありません。今すぐその場で姿勢を正し、背筋を伸ばし骨盤を立て、息を吸ったり吐いたりに気持ちを集中させてみてください。やっているうちに今悩んでいることが馬鹿馬鹿しく感じられるようになりますよ。