久しぶりに佐藤ママのこぶしが唸っています。今回の相談は、

幼児教育ですが、褒めながら勉強させていましたか?勉強しなさいと言っていましたか?勉強嫌いにはなりませんでしたか?



勉強っていう言葉は使わなかったんですよ。プリントを7時から7時半まで、プリントを3枚してね、っていうふうに、具体的に言ってたんですよ。だからね、「勉強しなさい」って言っても何したらいいかわからないでしょ。言われても、言われた方も嫌だしね、すぐ何か取り掛かれるようなものの言い方をしないとダメなので。
しないといけないんですから勉強って、大学受験までは。大学受験までは絶対しないといけないわけでしょ。嫌いになんかなってる場合じゃないんですよ。だからね、嫌いにさせるのはやっぱり親の責任だと思いますけどね嫌いになんかさせてる場合じゃないんだから。嫌いだっていうのは親の持っていき方が間違っていると思いますよ。


いかがでしょうか。大事なのは「勉強しなさい」でなく、すぐ取り掛かれるよう具体的に指示を出すということです。こういう考え方の佐藤ママは「勉強」という言葉を使う必要がなかった。しかも、お気づきでしょうか?佐藤ママは「言われた方も嫌だしね」と言っています。常に子どもの気持ちを配慮し、子どもが嫌がる言い方を避けている。当然「勉強しなさい」という命令形ではなく、「プリントを3枚してね」というお願い形にするわけです。こういうところは佐藤ママ、徹底していたと思います。こういうところを抑えないと、いくらノウハウを知ったところで子どもに勉強に対する嫌なイメージを植え付けます。もちろん他の子どもとの比較もしなかったと言っています。抑えるべきことをしっかり抑える、これが大事ということです。

お願い形にする。
比較をしない。
すぐ取り掛かれるように具体的に指示を出す。

さて、本題です。佐藤ママは「勉強嫌いにするのは親の責任です」と断言しています。それを聞いてどのように感じましたか?「グサっと」刺さり、自分のことを言われているみたいで傷ついた、とか言ってませんか?精神科医として言いますよ。そういうことを「言っている場合じゃない」です。そうではなくて、ここは「よかった!」と喜ぶところです。どういうことか説明します。勉強嫌いを「子どものせい」にしてしまうと、もうどうしようもありません。人間関係の絶対法則が「自分以外の他者を自分の思い通りに動かすことはできない、それが自分の子供でも」ですから。なので「子どものせい」ではなく「親の責任」と考え、子どもをどうこうすることに力を注ぐのでなく、自分を変えることに力を注ぎましょうということです。このように考えれば「よかった!自分を変えればいいんだ」になりませんか?