ぎん太さんが受験に役立ったと思った習い事は空手だそうです。意外でしょうか?実際、ぎん太さんの著書の紹介を扱った動画で、にしむら先生も同じように問いかけていました。

空手、意外ですかね?
過去の動画でも受験の最後は体力勝負だとお伝えしました

と述べています。ぎん太さんが役立ったと解釈するポイントは、目標に向かって努力する力、キツい稽古に耐えることで身につく克己心、試合に勝った、審査に通った、板が割れた、そんな成功体験が勉強を頑張る忍耐力を培ったと述べています。特に「脳の発達に良かった」と思ったのが「形」だそうです。形というのは仮想の敵に対し攻撃と防御の手順を表現したもので、たくさんの形を覚えるので大変な記憶力を必要とするし、ひとつひとつの技の意味も理解しなければ演じられない、たくさんの改善点を意識しながら自分の思い通りに体を動かすことは難しく頭を使う。試合では緊張感に飲み込まれず、余計なことを考えずいつもの稽古通りにやる、これは入試の際の緊張感の対処に役立ったそうです。

いかがでしょうか、空手、良いと思います。空手だけではありません。柔道でもボクシングでもレスリングでも理屈は同じで、精神科医の私もおすすめします。今回の動画で、空手と聞いて、私は何の違和感もないどころか当然と思いました。次男が格闘技やレスリングを通じ獲得したスキルや能力、経験を知っていたからです。小学校4年生くらいまでは癇癪持ちで喧嘩っ早く暴力的だった次男は、格闘技やレスリングを通じ、自制を覚えました。そして自制心を鍛えるのを阻害するモノ(管理するモノや関わる人間関係、触れる情報、スケジュール)を取捨選択し排除するというライフスタイルも獲得したのです。その最たるがSNSとスマホを手放すことでした。もちろんぎん太さんが指摘するように入学試験本番の緊張感への対処にも役立ちました。実際大学入試の頃の次男は、レスリングの試合に比べたら入学試験など全く緊張しなかったし、落ちたらどうしようなどと考えることは一度もなかったと述べています。そもそも「負けたらどうしよう」などというマインドで試合に臨む者などいないという論理です。ちなみに長男も次男も父親と違い、大学はスポーツ推薦でなく一般入試で入りました。スポーツ推薦枠に自分が行こうとしていた学部がなかったからです。いつの時代もそうですが、スポーツをガチでやっていた子がその集中力や時間やエネルギーを勉強に向けた時の熱量はものすごいものがあります。医学部の学生にもたくさんいました。ラストスパートが効くとでも言いましょうか。体力のない私からすると圧倒的とさえ感じる熱量だったことを覚えています。

スポーツをガチでやらせる際のリスクに「怪我」をあげる親は多いです。「大怪我したら元も子もない」は本当にそうでしょうか。私はそうは思いません。体力のないことによる不利益の方がよほど大きいと考えます。堀江貴文氏も散々指摘していますが「体力がないからメンタルがグタグダになる」という論理は間違っていないと思います。スポーツをガチでやりこんでいる学生が精神科に来ることなどないですから。そもそもスポーツは「予想される怪我」に対し、何をどうすれば回避できるかを事前に検討し、ルールを熟知したり体の必要な部位を鍛えるものです。スポーツをするということは「そういうこと」であり、ただ試合に勝つためのノウハウを学ぶだけではないし、勝敗だけが評価点ではありません。そういう意味で受験勉強と何ら変わりはないのです。そういう「学び経験の体系」を身をもって明確に会得するツールとしてスポーツは秀でた選択肢だと私は考えています。