悔しい感情、憎しみの感情を抱いた経験の積み重ねがその人から素直さを奪う。こうして「私は私が嫌い」になる。この憎しみを一気に晴らしたい。そのためには「理想の人間」にならなければならない。その時の悔しさを味わわないで済む人間が理想の人間と思っている。そこで「私は理想の人間にならなければならない」となる。それがイラショナルビリーフである。大人になって自己蔑視になった人は、小さい頃から毎日毎日降る雨の如く、とにかく嫌なことを言われ続けた。例えば「あなたは勉強ができない」と言われ続けた。そういう人はイラショナルビリーフを実現しないと不安で仕方がない。でも本当は馬鹿にされても良い。揶揄われる、馬鹿にされる、そうした事実を大人になったのだから一笑に付す。そしてさらに「親も困ったものだね」と事実を受け止める。あの人との関係は本当の修行だったと思えば良い。あるがままに受け入れて、一笑に付して乗り越えていく。

いかがでしょうか。憎しみの感情の積み重ねが素直さを奪い「自分が嫌い」になるというのは非常に現実的でよくある話です。憎しみの感情は多くの場合「自分の思い通りにならない他者」に対して抱く感情です。したがって物心着く頃から「自分以外の他者は自分の思い通りに動かない」ことを学び理解する必要がある。こういうことを学び理解するのにスポーツ、特に集団スポーツは最適です。たとえ思い通りにならない人の集まりで始まったとしても、個々が努めて自分を自制し力を合わせることで阿吽の呼吸にまで発展させねばなりません。思い通りにならない他者を憎んだりしている場合ではないのです。嫌いとか憎いという感情がチームに甚大な被害を及ぼすことを知っていた夫は息子たちに「喧嘩をするのはいい、でも喧嘩が終わったら自分から握手しろ」と教え続けました。こういうことだったのです。