それはね、テキストをちゃんとやるってことですね。それを本人にさせるのではなくてお母さんが読んであげるってことです。

終わり。
と言いたいところですが、そうはいきません。問題はこの後です。

子どもの耳の中に、体の中に、いかにたくさんの文章を詰め込むかっていうのが勝負なので、テキストって本当に、見たらわかるんですけど、その1冊の本がありますよね、それから抜き出して問題にしてるんですけど、美味しいところを抜き出しているんですよ。「ここなんだ!」みたいなその本の面白いところを抜いているので、その本1冊を読みたくなったりするんですね。そこをちゃんと読んであげると、そこそこ実力がつくんですね。私は子どもたちにいろいろ読んであげるでしょ、すると、その文章を読んで「これ面白いね!」って子供達と言って、その後ね出典があるじゃないですか、子供たちが「結論がどうなるかは僕たちは読む暇がないんで ママ読んで来て!」みたいな感じで、私は次の日急いで本屋に行ってそれを買ってきて、読んだらやっぱり面白かった、みたいな。それを次の日に私が延々と喋ってあげるんです。子供たちは読んでないのに「そういうことだったのか」。浜学園のテキストの出典はだいぶ読みました、私。

いかがでしょうか。佐藤ママは、テキストだけでなくその出典まで「だいぶ読みました」と述べています。つまり佐藤ママの子供たちも、本自体は読んではいなくても要旨や要点は把握していたということです。これは国語力を大きく伸ばします。多くの親は「語彙力をつける」ことに躍起になりますが、本当に大事なのは語彙力より要旨や要点の方です。その本その文章が何を言いたいのか、問題になっているのがどういうことか。そういうことがたくさん頭に入っていると、未知の文章が出てきた時も、それまで見聞きした要旨や要点が助けてくれるのです。たとえ問題文そのものが未知のものであっても、要旨要点は経験済み、ということはよくあるので、ちょっと読んだだけで「あ、もしかしたらこの文章はこういうことを言いたいのかも」となり、容易に全体が把握できるため設問に取り組みやすくなるという論理です。そういう意味で佐藤ママは冒頭で「テキストをちゃんとやる」と述べているのです。「ちゃんと」の意味を今回解説しました。

もうひとつ、大事なことを述べます。佐藤ママが読むことで、子供たちが「結論がどうなるかを知りたい!」という気持ちになっている点です。子供たちの知的好奇心を刺激するような読み方を佐藤ママがしていたということ。過去に佐藤ママは絵本を1万冊読むことでこのような能力が向上したと言っています。子供たちに、問題文になっている部分だけでなく、本全体の内容を知りたい!という気持ちにさせる読み方をしていたというのが、佐藤ママの真骨頂です。私たち親は佐藤ママのこういう部分を見習わねばなりません。