今度2年生の息子が、算数は好きなのですが、公文の反復計算が嫌いで困っています。佐藤さんのおっしゃる通り、将来複雑な計算に備えるために一桁の足し算は要。そこはできているのですが、引き算もひっかけに出ると平気で間違ってしまう。九九は歌も色々試したのですが、覚える気がありません。ピアノも上手だと先生に言っていただいても練習が嫌いで止まってしまっています。反復、練習といった人生で大切なことをこの段階で拒否することに困っております。どのように打破したらいいかアドバイスをいただけたら嬉しいです。

「どうしたらいいですか」の相談、本当に多いですね。これに対する佐藤ママの回答はとても論理的です。注意して視聴してください。相談者が「嫌い」で片付けていることに対し佐藤ママは次のように推測しています。

2年生の息子さんが算数は好きだけど反復計算が嫌い?計算を反復するのが嫌いってことですか?それは算数好きだと言えないでしょう。算数好きな子って算数すごい好きですよ。反復が嫌いじゃなくて計算がちゃんと出来ないんじゃないですかね。計算の完成度が低いんだと思う。一桁の足し算は出来てるって、どの程度できているかっていうのが問題で、多分完成度をもうちょっとあげないといけないと思いますよ。引き算もひっかけだと間違うってそれはあり得ないわそんなの、間違わないですから。

真っ先に佐藤ママが指摘しているのは、問題の焦点は「反復が嫌い」という部分ではない、ということです。相談者はやたらと反復反復と言っているけれども、大事なのはそこじゃないってことです。結局「やりたがらない」のは計算がちゃんと出来ていないのでは?完成度が低いのではないのか?という話です。非常に論理的で現実的です。このように考えれば「だったら計算をちゃんとやらせれば良い」と具体的解決法も決まります。

精神科医の私が気になったのは、子どもの「やらない」を親が「嫌い」と決めてかかっていることです。「やらない」=「嫌い」と紐づけてしまう思考様式です。それでは問題解決思考になりません。「やらない」には何か具体的な理由があって、それが何かを考えましょうという話です。こういうところで子育てにまつわるさまざまな問題に対するその親の対処姿勢が伺えます。「やらない、やりたがらない」=「嫌い」と解釈するのは、問題解決から一気に遠ざかります。お気をつけください。そういう思考法を野放しにすると、一時が万事そのように解釈するようになり、するとどんな問題も解決できなくなり、いちいち他人に相談しなければならなくなります。医者の仕事においても、例えば子どもや老人が食欲がない時、「食べたがらない時」、私たち医者は「嫌い」と解釈することはありません。もしかしたら胃の具合が悪いのではないか、心臓の具合が悪いのではないか、熱があるのではないか、と考える。それと同じです。そのように推理すれば、あとはひとつひとつ検証するだけですからね。もし「嫌い」と解釈し、何の検査もせず家に返したら、あとで血でも吐いてえらいことになりますよ。