今回の動画は佐藤ママの総集編的内容です。繰り返しご覧になり極意を会得することをお勧めします。残念ながら全てを文字起こしすることはできません。私から見て重要と思われる部分だけを文字起こしします。

世間では中学受験で燃え尽きて高校に上がれずドロップアウトするケースも見受けられます。佐藤ママのお子さんが燃え尽きずその後の学校生活、大学受験がうまくいった要因を教えていただきたいです。

私は精神的な強さがなくても、、、精神的なものって難しいでしょう。精神的に強いって難しいじゃないですか。だって人間って元々弱いものですからね、それを精神的に頑張れとか、頑張れっていうことは言わなかったんですよね、だって頑張るのって難しいじゃないですか。だからね、頑張れなくてもなんか楽しく、それで目の前のことを一生懸命やるっていうのを日々積み重ねてきただけで、だから子どもたちに◯◯中学に行くとかね、そういうことは一切、固有名詞で彼らを縛るとね、例えば灘中に行ってね、ママの夢だから、みたいなことをもし言ったらね、一言でも言ったらね、子どもたちを枠にはめるわけでしょ、子どもたちはその枠の中で頑張らなきゃいけないので、それは可哀想じゃないですか。子どもたちの人生が別にあるんでね、中学校の名前で追い詰めるのが一番まずいなと思ったので、一切言わなかったっていうことと、言わないってことは、私も◯◯に行ってほしいっていう希望は一切持たない、子供を育てるのに親の欲と希望が一番子どもをダメにするんですよ。親の欲と希望ってね、親の人生から出てきたものなので、親の人生から出てきた欲と希望を子どもに覆い被せるなんてのは一番子どもに対して失礼だし可哀想でしょ。

長くなりました。私が注目したのは最後の部分です。「失礼」というワード。「相手に失礼」の失礼です。佐藤ママが子どもに対しても「失礼」という意識を持って育てていたという点です。人格を尊重していたということですね。上から目線で支配していないということです。その表れが「失礼」という言葉だと考えます。そしてもうひとつ特筆すべきは、精神論を徹底的に避けている点です。「精神的なものって難しいでしょう」と繰り返し述べています。「頑張れ」と言わなかったとも。そうではなくて「なんか楽しく」「目の前のことを一生懸命やるのを毎日積み重ねただけ」という方針です。これまでの動画で佐藤ママが何度も何度も繰り返していたことです。この2点を会得するだけでも、子どもの精神的肉体的疲労は極力軽減できると思います。

我が家も「頑張れ」というワードは使いませんでした。ラグビー部の夫は息子たちに「頑張れ」というワードを使うのを嫌っていました。私に「頑張れは言わんでいい」と釘を刺したくらいです。既に一生懸命やっている子どもに頑張れは「しつこい」「追い打ちをかけるようなもの」と考えていたのではないでしょうか。子どもの心情への非常に細やかな配慮だと思います。逆に言うと「頑張れ」は子どもの心情への配慮の足りない軽率な一言とも言えます。もっともこれは価値観の問題なので、良い悪い、正しい間違っているの問題ではありません。夫はそのように考えていたという話です。それに、佐藤ママが言うように「頑張れ」って難しいですよ。具体的にどのようにしたらいいかをちゃんと言葉にして説明するのが難しいじゃないですか。「頑張れ頑張れ」はいいけど、それって具体的にどうすること?って話です。小学4年生の頃、次男はそう指摘していました。そういう概念みたいなものを子どもに言い放つのは、確かに気が引けます。配慮の足りない言葉というのは、たとえ子どもでも不快に感じるのではないでしょうか。