小学1年の親からの相談です。片道1時間かけて浜学園に通わせるか、10分の中堅受験塾に通わせるか、佐藤ママならどちらにしますか?という内容です。自分で決められないんですね。深刻です。佐藤ママは「浜学園の授業は素晴らしいけれど、往復2時間を電車で通い、それで疲れて自宅学習ができなければ意味がないから、10分の受験塾にしたらどうですか?」と答えています。そんなふうに佐藤ママが言うと、人によっては「10分の受験塾にしたらいい」という結論だけを受け取りそうしてしまうでしょう。ここに深刻な問題が潜んでいることに気づかずに。

自分の選択を自分で出来ない人が増えています。失敗したくないという意識が強すぎ、悲観グセがあり、周りの目を気にしすぎ、目先の結果に囚われすぎ、自分の判断基準がないからです。これらは全て自分の人生を複雑にする要素です。一方、失敗は自分自身の考え方の癖や偏りを自覚できる数少ないチャンスです。そういう機会から逃げれば逃げるほど自分で決められない性質はますます強化されます。「保証やお墨付き」が欲しいという依存的な気持ちを手放さないと正真正銘「自分で決められない大人」になります。

選択には理由が必要です。しかもその理由は自分なりの理由でなければなりません。何故なら「自分なりの理由」に自分の価値観(判断基準)が反映されるからです。他人がこしらえた理由で選択をすれば自分の価値観は無視され、当然、のちに齟齬が生じます。適応が困難になるということです。人は自分の価値観を反映した選択を重ねないと、その人生はまとまりを欠きチグハグ感に満ちてきます。何故か落ち着かない、まるで自分の人生でないような感覚です。そういうことを訴え精神科に訪れる人は少なくありません。自分の人生を自分で生きている気がしないという感覚です。裏を返せば、自分の選択が人生を作ると言っても過言ではありません。

何度も言いますが、選択は、どちらを選んだとしても、自分で選んだ選択に責任を持ち、その選択をより良いものにしていこうという姿勢が大切です。この姿勢を持てないと「唯一の正解」を探し続け何ひとつ自分で決められない人生になってしまいます。そしてそういう親の姿を見て育った子どももそのようになってしまう。これが不味いのです。昭和の価値観に「自分の犯した過ちを子どもにさせたくない」というのがありますが、令和の精神科医の私からすると、その考えは自分の人生を否定しているも同然です。自分の人生を否定している親の子どもがどうして健全な自己肯定感を育むことができるのでしょうか。過去の動画で佐藤ママは次のように述べています。「自分が選んだ選択をより良くしていく、それしかないんじゃないですか」。私たちが佐藤ママから学ぶべきはこのような姿勢ではないでしょうか。