次男の親友西野君が教えてくれました。「少々早い誕生日プレゼント」と言って「両刃の斧」というドラマを教えてくれたのです。「ぜったい気に入る夢中になる!泣いて喜ぶ!!衝撃を受ける!!!」と言って。センスあるなあ。誕生日プレゼントが「モノ」でなく「私が泣いて喜ぶドラマ」とは。あー西野君、、、私が大学生なら絶対好きになったでしょう。早速見てみました。ネタバレになりますのでご注意ください。

大門剛明のサスペンス小説をドラマ化した作品です。主演は井浦新と柴田恭兵。井浦新いい味出してます。結論を言うと衝撃でした。もちろん泣きました。号泣。そして西野君の言うとおり過去1になったのです。毎日病気を捜査する精神科医の脳を「斧」でぶん殴ってくれました。人間の脳の持つ「バイアス」の怖さを思い知ったのです。もっともっと脳力を鍛えねば!そう思いました。あらすじはこうです。県警捜査一課の刑事柴崎佐千夫(柴田恭兵)と妻三輪子(風吹ジュン)の長女が首を切られ遺体で発見されます。間もなく次女も長女の後を追うように白血病で他界する。二人の娘を次々失った夫婦の慟哭を描いた作品です。夫婦仲は極めて良好。親子関係も問題なし。井浦新は柴崎刑事の後輩。先輩を心から尊敬し感謝していました。結婚して娘がおり、柴崎刑事一家と家族ぐるみで付き合っていました。2つの家族の非常に仲の良い関係が描かれています。井浦新の妻役は高岡早紀が演じています。私高岡早紀大好きなんですよ。

主役が刑事でその娘が殺されたとなると犯人探しがドラマの流れと想像しますね。犯人は誰だ?真犯人は誰?私もそのような姿勢で見始めました。そして若い女性が一人暮らしのアパートで首を切られて死んでいれば、誰もが当然のように殺人事件と考えます。刑事でも精神科医でも。そして若い女性が殺害されたとなれば、犯人は怨恨に取り憑かれた男性かストーカーか?と考えがち。ドラマの中で、殺された長女は性格のおとなしそうな若い女性で、質素で真面目で慎ましい生活をしていました。間違っても夜な夜な繁華街を遊び歩いたり派手な男関係の女性ではありません。第一話の冒頭で、お付き合いしている男性がいるのかな?と想像させるそぶりを見せます。捜査が始ま理、間もなくストーカーが浮上します。実際、長女はストーカーに悩まされていたというエピソードも登場する。私も最初、犯人はストーカーや横恋慕に狂った男とか、そういうふうに想像していました。

ところが最終話で、誰もが予想だにしない人物が真犯人であることがわかります。極端な言い方をすれば最も「ありえない」人物。それが真犯人でした。「ええええええっ!!!!」私もひっくり返りそうになりましたよ。「な、なんで!?どうして!?」

どうしてこのようなことが起こるとかというと、若い女性がアパートの自室で首を切られて死んでいたとなれば、ほとんどの人は「殺人事件」と決めてかかります。「殺人」と。これがバイアス(偏見・先入観)です。想像してみてください。自分の娘が一人暮らしのアパートの自室で首を切られて死んでいたとしたら?誰かに「殺された」と思ってしまいませんか?「殺された」というのは犯人が「殺す動機や意志を持って殺した」という意味です。「ついあやまって殺しちゃいました」とは思わないでしょう。

状況が状況(自分の娘が殺されたり、親友の娘が殺されたといった)だと捜査が仕事の刑事でも精神科医でもバイアスに囚われます。バイアスを持った者どうしがチームを組めばそのバイアスは更に強化される。当然、真犯人からはどんどん遠ざかってしまいます。医療なら「誤診」です。今回このドラマで私はバイアスの怖さを思い知りました。「自然な心の成り行きで決めてかかる」こととそれに気づかない気づくことのできない怖さです。「決めてかかる」は本当によくない。白黒思考は人生を複雑にし、自分で自分の首を絞めます。