子育てする上で大事なのは、親が事前に、自分自身の精神の未熟さを知り受け入れ向き合うことです。

精神の具合が悪い人が口を揃えて言うことのひとつに「許せない」というのがあります。自分の人生を複雑にするワードの筆頭が「許せない」と言っても過言ではありません。不幸な人は口を揃えて「許せない許せない」と言います。許せないとは、相手の言動行動が自分の考えにそぐわないとか、相手が自分の期待通りに動かないとか、期待通りの反応が返ってこないとか、ひいては相手のこういう部分が嫌いで気になって仕方がないとか、要は「自分が」相手を許容できない、やり過ごせないということです。今回の相談者は60代女性です。「夫が異常なほどに几帳面でいちいち指図をしてくる、なぜ夫はこうなってしまったのか」という相談に、加藤先生は次のように説いています。

夫が几帳面すぎる、ということで神経症者の要求をどう解決するかということを、神経症者を近親に持ったときに、誰の対処法でも同じですが、神経症者の言うことは私とは全く関係ないと思うことなんです。だってそんなこと「関係ない」で済むわけですから。だから夫ばかりじゃなくて、この人は「私の方は大雑把」と言っている、几帳面すぎる夫を放っておけないんです。放っておけるってことは心理的に言うとすごい積極性なんです、だから放っておけるか放っておけないかっていうのが自分の心理的な成長を図ることなんです。だけど受け身の人というのは人を放っておけないんです。だからこの人も几帳面すぎる束縛してくる夫を放っておけないということは、この人自身が自我の確立がなされていないんですよ、夫に依存しているわけです

いかがでしょうか。先日の佐藤ママの動画にもありましたよね。2歳の息子がぐずぐず公文をやっているのが理解できない、私はこんなふうじゃなかった!モヤモヤすると訴えていた母親の件です。あれなんかは今回の話と同じです。自分以外の他者の「こういうところ」が許せないという話ですよ。しかも自分の子どもに対して。結論は、自我の確立がなされていないということ、自分と子どもを同一視している、子どもをひとりの人格として認められないとってことです。極めてまずい状態。子どもの公文や中受がどうこう言ってる場合じゃないってことです。自分の未熟な自我をどうにかするのが先ってことです。

自分と他者は違うということが口先だけでなく無意識レベルで当然という認識になっていれば、自分と意見が違う他者や、自分が理解できないことを言う他者のことを「許せない」とはなりません。近年「大人になりきれない未熟な大人」が激増し、自分の子供にまで文句を言う人が指数関数的に増えています。加藤先生の言うように、放っておけばいいし、私とは関係ないと思えば済むことです。それが成熟した大人の対応ですよ。子どもが公文をゆっくりやっているからと言って「グズグズ」と受け取らないし「キーッ!!!」とはならないわけです。「あ、この子はこう言う性質なのね、なるほどね」で済むわけです。こんなふうに言うと、この手の人は必ずこんなふうに言います。

放っておくなんてできません!そんなこと放っておいて、受験に落ちて子どもの人生が台無しになったらどうするんですか!

どうもしません、その子が大人になって自分でどうにかすることです。親とは関係ありません。親がどうにかする問題ではないですよ。

と説明しても全く納得できない。未熟な人はできないですよ、自分の意に反していることを許せない人、自分のことを正しいと言ってくれる人以外許せない人ですから。精神科医が何を言おうと「わかってもらえない」「許せない」と反応する人ですから。加藤先生の言うように神経症の人は健全なものの考え方をしないし理解もできない、だから具合が悪くなっているしそういう自覚もない。だったら成熟した人はそういう人に対し「関係ない」という対処でよろしい、という話なのに「関係ないってことにはできません」と言うわけです。堂々巡りです。だから子どもの就職や結婚のことにまで介入し口出しするんです。おかしいでしょ。すると「親なんだから当たり前!」と言ったりする。「いやいや、全然当たり前じゃないですよ。子どもと言っても年齢的にはもう大人なんだから、就職も結婚も自分でどうにかする話でしょう。親がああだこうだ言う話じゃないでしょう。」と説明しても、「理解できません!!!」となる。子どもと自分を同一視し、子どもをひとりの人格として認められない神経症の人を説得しても無駄ということです。説得を理解できる脳が育っていないのですから、どう説明しても水と油なんです。だから健全な人は「関係ない」「私が介入することじゃない」と対応するのです。

大事なことなので復唱します。
自分の認めたくないものを認めることで成長する