佐藤ママの動画にもありましたが、親が子どもにテレビやYouTubeを見せないことで、子どもが友達との話題についていけず、それがもとでいじめられることになりはしないだろうか、と不安に振り回される親が少なくないという件です。この思想は健全の精神の成長発達を阻害するという意味で非常に危険と私は考えます。何故か。「皆と同じ」を強要しているからです。日本という国は<個性が大事><ひとつだけの花><アイデンティティ><何者>だの何だのと「個性大事!」「自分は自分!」と声高に叫ぶわりに「皆と同じでないと不安」という考えに支配される人が溢れている社会です。アンビバレンツ状態です。ふたつの相反する価値観が同居する状態ですから、精神的に苦しくなり病みます。どうすればいいか。どちらかにするしかない。迎合するか自分を貫くか。佐藤ママはもちろん「自分を貫く」を子どもに教えています。テレビの件でも

よそはよそ、うちはうちだから堂々としてなさい

と子どもたちに諭しています。お気づきですか?「堂々と」は佐藤ママが何度も使用するキーワードです。きっと子どもたちに折りに触れ言って聞かせたでしょう。こういう教育が大事なんです。

「テレビを見ないと友達との話題についていけない」それは事実としてありうるでしょう。だからといって「虐められる」か否かと考えるのはいかがなものか。そんなふうに考える思考様式の方が危険だと私は思います。「皆と同じじゃないと虐められる」は思想だからです。思想は生活の随所に出ます。子どもに対する言動や態度の端々に出る。だから子どもにもそのような考え方が伝染する。親世代はそんな価値観でもどうにか生き延びられたかもしれませんが、今以降の子どもたちはそうはいきません。「皆と同じ」を強要された結果が「生き方がわからない」「やりたいことがわからない」と泣いて訴える若者を大量に生み出したからです。

「皆と同じ」思考は自分の人生を複雑にします。これは確かです。始終色んな問題や悩みを抱え、ああだこうだゴタクを並べて決めきれず、精神の具合をどんどん悪くしていくのは「皆はどうだろう」と周囲を伺わずにいられず全てのことに自己決定できない、そういう厄介な思考癖を身につけてしまったからです。

テレビを見ないから話題が合わないということは起こり得るよね。でも「それ自体」に良い悪いはない。「話題についていけない」が「悪い」とか「だめ」などということは無いから、堂々としていなさい。そういう時は「ぼくはわからないから教えて」と対処しなさい

佐藤ママは子どもたちにそう具体的に指示している。一方「話題が合わないと虐められるかもしれない、そうなったらかわいそう」とかなんとか言って「テレビ見せちゃいました」親は考え方も具体的対処法も教えていない。こういうことの積み重ねが10年20年経ったら?と考えるとゾッとしませんか?