共有型しつけを受けている子どもは読み書き能力が非常に長けている、それから語彙が豊かなんです。共有型しつけの親はどういう言葉をかけているかを分析してみると、子どもに考える余地を残すような言葉をかける。つまり理由を言って提案する言い方なんですね、そして子どもに合わせて子どもが困っている時にちょっと助けてあげる。もうとにかく3Hの言葉が多い。褒める、励ます、広げる言葉。だから母親に守られて子どもはもう楽しそうに遊んでる。強制型しつけの親は子どもに考える余地を与えない、指令、命令、禁止で子どもを動かそうとする、だから子どもは緊張しながら遊んでるんですね

いかがでしょうか?「共有型しつけ」と言われ、ピンと来ますでしょうか?来た人はおそらくそういうしつけをしているのではないでしょうか。内田先生は「子どもに考える余地を残すような言葉をかける」と表現していますが、言葉だけではありません。生活そのものがそのようになっているしつけです。細かいことはさておき、大前提としてとにかく会話をしている。スマホを見ながらの単語の投げ合いでなく、互いに顔を見合い、しっかりした文や文章でやり取りをしている。幼少の子どもでも理解できるように、親が平易な言葉を選び、臨機応変に言い方を変えたりして、子どもが理解しやすいように努めている。言葉だけでなく生活全体がこのような構造になっているのです。こういうことを親が「当たり前に」やっていると、子どもも当たり前にやるようになるので、当然、語彙力は豊富となり読み書き能力も向上します。読解力も上がりますよ。

このような「しつけ」を6年間親がやってきた子どもとそうでない子どもが小学1年生になった時、学力や運動能力に差が生じているのは当然と言えば当然です。6年間毎日やってきているわけですから。時間限定のお稽古事やその練習と違い、朝から晩までですから膨大な時間の差ができます。この差は小手先の勉強方法程度では埋まりません。何故ならそういう子どもは考えたり工夫する力を身につけさらに磨きをかけているのですから、差は縮まるどころかどんどん広がっていくと考えるのが普通です。

共有型しつけの親は「褒めて育てるか叱って育てるか」みたいな白黒思考ではありません。白黒思考というのは思考の根底に「臨機応変に考えるのは面倒だからどっちかにした方が楽」という発想があるので、要はズボラなんですよ。押したり引いたりという発想がない。組み合わせたり割合を考えるという思考をしないんです。だから「どちらか?」という考え方になってしまう。こういう思考が日常となり人生になってしまうと、色々なことに対応対処する能力が上がらないため、いちいち躓き、悩み、不安や怒りに翻弄されるなどして精神の具合が悪くなるのです。白黒思考というのは単に考え方の癖だけでなく、生活全部を支配するようになる、だから困るのです。

このように考えると「しつけ」というのは、単に「狭義のしつけ」にとどまらず、子どもの生活全般、人生全般に作用すると言えます。共有型しつけの子どもはもちろん「話を聞く」能力も育っているので、社会的スキルや能力も向上していくのです。