今まで蓄積してきたモノは、全て私たちの思考がもたらした産物なのです。私たちの身体や能力のみならず、友人や種々の活動、持ち物に至るまで。これらを司ってきた思考を意識することが何を捨て、何を取っておくかを知るための初めの一歩となります。これにはかなりの知識が必要とされます。それは自分を知るということです。私たちが何を望んでいるのかを「おおまかに」知るのでは不十分です。徹底的に詳細に至るまで知る必要があります。漠然とした不明瞭な思いは取捨選択においては「的」を外してしまう危険性を伴うもので、その後に不満足感が残ります。従っていい加減な気持ちで捨ててはなりませんし、自分の身辺に置くものは落ち着いて吟味しなくてはなりません。自分の選択を省みる、自分にぴったり合うモノのみを取っておくために持ち物を分別する作業は、アイデンティティに沿った分別を強いることになります。これは決して容易な作業ではなく、手探りで、失敗を繰り返しながらまた失敗を受け入れながら進めていく作業で、頂上まで続く登り坂を段階的に歩んでいく巡礼に似ています。