「学校は社会の縮図」当たっている部分もありますが、そうでない部分もある。それより「学校は本当に必要なのか?」令和の親はそこを考えねばならない、今はそういう時代になりました。「学校は社会の縮図」だからという理由で我が子を学校に行かせるのは、利益と不利益を考えた場合どうなのだろうか。もしも今私の息子が幼稚園児で間もなく小学校に入学するというなら、私はそこを考えますね。もちろん本人が「行きたい」というなら行かせますが、「行きたくない」と言っている子を行きたいという気持ちにさせるほどの理由が、今の学校教育には見つからない。少なくとも私はそのように考えています。無駄だとは言いませんが、思ったほど利益はないかなと。

うちの息子たちの場合、小学校に行くと同時に野球チームや格闘技道場に通い始めましたから、社会性を学んだり経験する場としては別に学校があろうがなかろうが大きな影響はなかったと思います。むしろスポーツチームや道場は「1年生から6年生、なんなら中学生高校生もいる社会」ですから、同じ学年の友達としか関わらない学校より教育効果は大きいと考えます。勉強についてはどうかというと、コロナで学校に行けなくても何とかなっていましたからね、絶対不可欠でもないと思います。なので堀江貴文氏が作った学校みたいに「家庭科だけ受ける」「体育だけ参加する」みたいなやり方考え方の方が、実用的実践的だとは思います。何にせよ「一同一律」の時代ではなくなったってことです。

「学校は社会の縮図」この言葉の本来の意味よりどのような意図で使用するか、私はそこが問題だと思います。嫌がる子どもを学校に行かせるため「社会性を向上させる」を理由にしたとて、では今の学校が子どもの社会性を向上させる場として有効に機能しているかといえばそうではないと思います。なので「社会性」だの「友達づくり」だのを理由に学校教育を肯定しようという考え方は、令和の今においては古いかなと私は思いますね。