小4です。公園族です。勉強を無邪気にさせていく声がけを教えてください。

勉強を「無邪気に」させる方法を教えてくださいという相談です。ただ「勉強させる」でなく「無邪気に勉強させる」という条件付き。欲張りすぎではないでしょうか。そして別に無邪気である必要はどこにもないと思うのですが、皆さんはいかがお考えになりますか?佐藤ママをはじめ受験のプロの先生方も、勉強なんてものは淡々とやるだけ、と言っています。大事なのは、親が勉強を苦行に思わないことです。親が勉強を苦行と思っていると、それがついつい普段の言動行動表情に出ますから、子どもも勉強を苦行と思うようになってしまう。なので子どもを勉強嫌いにさせたくなければ、「声がけ」とか「方法」以前に、親の勉強に対する考えを改めてくださいという話です。





勉強できるってことだけですよ。

佐藤ママは一貫して、勉強ができるようになれば自動的に無邪気に(喜んで)やるようになりますよ、と述べています。そのためにはまず計算力をつけて、文章題に取り組ませ、今のうちに小学校4年生までの勉強をどこもわからないものがないようにする。






東大理Ⅲに合格するレベルの子は皆口々に言っていますね、このセリフ。「どこもわからないものがないようにする」=「手足の如く使いこなせるようにする」と。高いレベルを目指すには、基礎の部分で曖昧なところがあってはならないという話です。


さて、ここからは佐藤ママでなく精神科医である私が「気になった」件を述べます。勉強に無邪気は必要ないと思いますよ。相談者が、わざわざ「無邪気に」と言っているのかが気になりました。おそらくこの母親は「無邪気に」を「喜んで」「楽しく」という意味で使用していると思います。喜んで楽しく勉強する子は成績が良いと言う人、結構いますからね。なので「ただ勉強する」より「喜んで楽しく勉強する」方が良いに決まっているという思考になり、しかしどうしたら子どもが喜んで楽しく勉強するようになるかがわからないから、「どうしたら良いですか?」という質問になったのだと推測します。しかしそれはそれぞれの親が自分で考えることです。参考までに佐藤ママが子どもたちにどのようにしてきたかは過去の動画を見ればわかります。しかしそれは佐藤ママのやり方であり、佐藤ママの子どもに通用したやり方なので、他の親がそのやり方をそのまま真似してもうまくいくかどうかはわかりません。何しろ佐藤ママは子どもたちが勉強に心理的抵抗を感じないよう細心の注意を払いあれこれ工夫し、まるで芸術の域とも言える支援をしてきたのですから。



今、子どもたちは親や大人からの無言の圧力に苦しんでいます。そしてその傾向は年々強まっています。無言の「求められている」感じが苦しいというのです。何故親が子どもにそれほど求めてしまうかと言えば、情報洪水に翻弄されているからです。「勉強は喜んで楽しくさせなければならない」と盲信している。「出来る子は皆そうしているのだから、我が子にもそうさせたい」と思っている。欲と期待ばかりが膨れ上がっているのです。そういう親の過剰な欲や期待が子どもの心を苦しめているのです。しかしこれは子どもに限った話ではありません。大人でも、友達関係や夫婦関係で、過剰な「求められている感じ」は強制と感じ、不快でしょう。ましてや子どもをやです。精神科医の岡田先生が監訳している「親といるとなぜか苦しい」という本を紹介します。副題は「親という呪いから自由になる方法」とあります。