「やる気」が出ないと「勉強できない」という考え方が蔓延していますが、結論を言えば、それは思い込みです。「やる気スイッチ」とか言う人がいますが、そんなものどこにあるのでしょうか?

私も勉強はしますが「やる気が出てから勉強する」わけではありません。やる気など関係なく「やるべきことだからやる」のです。佐藤ママが繰り返し強調する「やって当たり前だよね」の感覚です。「勉強すること」にやる気を求めていません。これは私だけでなく、多くのいわゆる「勉強する子、勉強する人」も同じだと思います。小林尚先生や河野玄斗氏も似たようなことを言っています。だから習慣づけが大事という話につながるのです。この場合の習慣づけというのは「勉強とやる気は関係ない」という心の持ち様です。

この件のポイントは「やる気」と「勉強するしない」を紐づける思考癖の危険性です。精神科には「やる気が起きないから会社に行けない行きたくない」と言う人がものすごくたくさん訪れ、「やる気が出ない」を理由に何ヶ月、いや、何年も会社を休んでいる人がいます。「やる気」が出ないから「仕事できない」と言う人たちです。しかし、多くのビジネスパーソンは別に毎朝「やる気」を漲らせて会社に行くわけではありません。やる気があろうがなかろうが、「やるべきことだから」「やって当たり前だから」会社に行き、仕事をする。これが心の現実だと思います。身近な件で言えば、お母さんはやる気が出てから夕食の支度をしていますか?という話。そうじゃないですよね。従って「やる気」と「勉強するしない」を子どもの脳に紐付けするのはそもそも「検討はずれ」で、そういう考え方はむしろ「やる気」が出ないから「勉強しない」という不経済な考えを強化し、日常生活に支障をきたすと私は考えます。

小林尚先生も本にきっぱり書いていますが、「やる気」は、やっているうちにだんだん湧いてくるものです。「やる気」→「勉強する」ではありません。逆です。「勉強する」→「やる気」です。但しこの場合のやる気というのは「勉強するぞ!」のやる気ではなく「乗ってきた!」あるいは「集中が高まってきた」を意味します。

このように考えれば、塾に「やる気」を求めることは、これも検討はずれと解釈できます。そもそも「やる気」などというのものは内発的なものであり、他人に「もらう」ものではありません。お金を払えば「やる気」が買える。そんなサービスはどこにもないのです。「やる気にさせる」という表現を用いる人もしばしば見かけますが、これも、優秀な教師に勉強の面白さを教えられ、子どもの脳が内発的に「知りたい」「理解したい」という気持ちになることをそう表現しているだけでしょう。

佐藤ママの名言を今一度よく味わってみてください。

モチベーションがどうとかって、そういうことをぐちゃぐちゃ言ってるからダメなんですよ。別にモチベーションがわかなくたって、勉強するんですよ。目の前の、すべきことを、淡々と、やっていくうちに、やる気なんてものは後から付いて来るものなので。