モノの数量やその種類ではなく、むしろそのモノに対する私たちの執着心が問題なのです。執着する度合いが薄れ、しまいにそれを断ち切れるようになると、私たちは新たな自由を発見するようになります。それは自分のものと信じていたモノを失う恐怖心を克服する、という自由です。モノに執着している限り、私たちは囚われ続け、囚われている状態では自制することができません。決して物質的な豊かさを過小評価しているわけではありません。モノの役割は他の様々な豊かさへの移行を容易にするためにあると言いたいのです。「超越」することは、その豊かさへの扉を開いてくれます。ただしこれは長く規則正しく繰り返された実践による「洗練」の見返りとして得られ、その帰結は必ずしも完全な無関心ではなく、鏡がモノを映すように、気持ちを奪われることなく、ただ淡々と映像を反映するといった感覚です。そして何も持たなくなった時に、全てが得られるのです。自分をすっかり空にすることで、より大きな幸せを受け入れる空間を自分の中に用意できるようになるのです。モノに執着するのをやめてみましょう。モノは使いましょう。惜しみなく利用し、そして役に立たなくなったら感謝の気持ちと共に葬り去りましょう。唯一大切なこと、それは多分、居心地の良い場所を見つけることかもしれません。そこは自分が思い切り寛げる場所です。