人生では、すべてが移り変わっていきます。一瞬たりとも、別な瞬間と同じではないのです。ひとつの真実をとらえ、それを別の確立した形で肯定しようとしても、それは遅かれ早かれ消えてなくなります。そこで禅の師匠は言うのです。「無」を唱えなさいと。

無とはなにもないこということ。全てが無なのです。この無は開花し、平穏なものです。この無こそが、まさに私たちに全てを与えてくれるものなのです。無常とは日本の禅の概念で、日常の行為や言動を軽快にし、スムーズにする繊細さと透明性の美を追求しています。この概念は、全て確信というものは流動的でじょじょに消滅していくもの、そして私たちが恩恵にあずかることのできるものとは、はかないものでしかないと説いています。無常とは自然に、悩みもなく、人生の余剰な重荷から自由の身となり、安らかに、気楽に生きることを意味しています。それは豊かさを「所有」するのではなく、無理をせずに「味わう」ものなのです。

金持ちである必要は全くなく、ただ持てるモノを味わいながら用い、お金は自分に見合った洗練された使い方をすればよいのです。それはわずかなお金でも「豊かさ」を感じさせる使い方です。

無常は日常の凡庸さが人生の意味を削ぐもの、同調することと論理は精神を麻痺させるものとも説いています。無常の優雅さ、それは第一に自己をしっかり持つこと、自分がどういう人間なのかを知り、自己との関係を良好にすることです。それは自分の好みを穏やかに主張し、周りの意見にひきずられないこと、独自のイマジネーションや創造力を再発見し、自分以外の人間としてふるまわないことです。