「生きるということは成長すること、常に一生懸命に、そしていつも前向きで」(野上弥生子、女流作家のあるテレビ番組でのインタビューより)

この番組を収録した時、野上さんは既に80歳以上でした。それでも当時彼女は、ドイツ語の勉強を続けていました。長い人生、私たちは常に変化を遂げています。しかしだいたい50代、則ち人生の半分に差し掛かった頃に本当の意味での変化が訪れます。その頃よく鬱になる人を見かけます。子どもの独立、間近に迫る定年、将来への不安、老化を告げるサインが赤ランプを点滅させます。そのような時、私たちは将来をどう捉えたらいいのかがわからず、自分の待ち受ける老後に不安を覚えながら沈み込み、過去を振り返るようになるのです。この時期は、ある種の人たちにとっては非常に奇妙な時期です。そういう人は不安に悩むようになり、過去を称えるようになります。そして再び思春期の若者のように振る舞い始めるのです。フランス語で「真昼の悪魔」と呼ばれている若気の至りならぬ「中年の至利」即ち中高年の恋愛がそのいい例です。そういう人たちに限って、大抵欲しいものはことごとく手に入れてきた人たちです。家、家族、時間の余裕、少ない制約、物質的な保証というような。この頃の10年は、自らの人生に区切りをつけて次のステージに駒を進ませる絶好のタイミングなのです。人生のどの季節にもそれぞれの良さがあり、古い生活の名残やとって置けないモノは「去る者は追わず」でさっさと退いてもらい、人生の後半を過ごすための地ならしに着手すべきです。昔のことは忘れて、以前失敗に終わったことに再度チャレンジしてみるなど、将来に目を向けるべきです。


今まで散々物質的な喜びを味わってきて、本当に大切なことはその中にはない、ということさえ納得していれば、自分をモノから切り離すことはずっと容易くできます。そして次の別な「頂上」を目指すのです。「休憩場所」に立ち寄るたびに必要のない荷を解き、置き去りにすることで、それまで家族や仕事上の制約によって希薄になっていた若い頃の軽快さ、素早い身のこなし、柔軟性が戻ってきます。50代60代の今こそがそれまで遂げられなかった大プロジェクトに着手する時期なのです。目的を持ちながら生きることは、目的を持たずにただ漠然と日々を過ごすよりもずっと豊かで健全、はるかに良い生き方ができます。そして流れに沿って生きる方が、流れに逆らうより自然なのは当たり前ですよね。人生の後半が生彩を欠き、寂しいものとならぬよう、自分がやってみたいと思う目的を見つけるべきです。可能な限り多くの荷下ろしを実践してみてください。そしてひとつでも自分の夢の実現に向けて一歩を踏み出してください。そうすることで自分の人生に訪れる変化を完全なものにし、それをその都度フルに生かすことができるでしょう。例えば20歳の頃の自分のように、住む場所を変えてみる、新しい場所に住居を構えてみるというのはいかがでしょう?すると自分の存在の内に、ひとつ一貫したものが現れてくるのがわかります。