真面目という言葉の本来の意味をご存知でしょうか。真面目というのは誠実という意味です。他には「本気」とか。なので真面目の本来的な意味そのものは誇らしく歓迎すべきことだと私は考えます。なので「真面目なのに」という言い方は適切でないと思うのです。

一方、真面目の辞書的な意味はさておき、私たちが日常的に使用する局面では、真面目には「融通が効かない」という意味合いが含まれ、本来の意味ほど歓迎的に使われず、評価もそれほど高くはありません。女子に「好きな男性のタイプは?」とアンケートした場合、「真面目な人」と答える人はむしろ少ないのではないでしょうか。あるいは企業の人事採用担当者が「真面目」な気質を評価の高いところに置いているかというと、そうではないと思います。しかし冒頭で述べたように、真面目は誠実であり、融通の効かなさとは別問題と私は考えます。なので真面目と「融通の効かなさ」を紐付けた言い方を絶対しません。

子どもに「あなたは真面目だけど融通が効かないよね」みたいな言い方をすると、真面目を「悪い」と解釈するようになりがちです。実際、精神科に訪れる人の中には真面目であることにコンプレックスを抱いているという人が少なくない。真面目は本来良いことなのに、何故か「融通の効かなさ」と併用されることで、真面目=融通が効かない、今風に言えば残念、と解釈するようになるのです。実際日本語には生真面目という言葉がありますが、これは「融通が効かない」「冗談が通じない」という意味です。「生」をつけただけで本来の誠実という意味を損なってしまい紛らわしいので、私は使わないようにしています。

長々書きましたが、要は「真面目」は歓迎的であり評価されるべき性質なので、真面目なのに不合格という言い方をするのは、私は違うと考えているということです。

話を戻します。繁田先生は真面目な子について次のように述べています。

真面目な子ほど過度にプレッシャーを感じやすい、期待に応えようという気持ちが強すぎて自分の失敗を責めてしまう、失敗した時にテンパってしまう、ということが結構起こりがち、ではどうしたらよいかというと、普段から適度に不真面目になるというか、、、今回の結果を踏まえて次どうしようという、出来事に向き合い、原因を突き止め改善することが大事になってきます

いかがでしょうか。やはり真面目を「プレッシャーを感じやすい」とか「期待に応えようとする気持ちが強すぎる」と紐付けしていますよね。精神科医としては「ちょっと困ります」と言いたいです。真面目=誠実というのは非常に誇らしいことです。良いんです。なので、それとは別に「プレッシャーを感じやすいところ」や「期待に応えようとする気持ちが強すぎる」のを改善しようという言い方を、ぜひ子どもにはして欲しいと思います。誠実ってとても大事ですよ。