親が子どもに褒美を与えることで、親の望む行動をさせようとすることについての唯一の正解はありません。私個人は、それを好まないのでやりませんでした。繁田先生は「上手くやれば良い」と言い、佐藤ママは「そういうことをすることで後で大変な思いをするのは親ですよ」と述べています。

まず思い出して欲しいのは、自分以外の他者を自分の思い通りに動かすことはできない、例え我が子でも、という人間関係上のルールです。小学校高学年にもなれば子どもといえど親の言う通りに動かなくなります。それが通常だし健全です。思春期になり体や力が急速に大きく強くなれば、親の強制力はますます薄れ、遂には操縦できなくなります。当然褒美も無力化するので、そうなると親はもうどうして良いかわからなくなり、途方に暮れることになるのです。

勉強したがらない子どもに褒美で釣って勉強させても「勉強したくない」という基本マインドは変わりませんから、遅かれ早かれ褒美の効力はなくなります。なので、褒美で釣るのでなく、そうなるずっと前に、子どもの脳に「勉強するのは当たり前」というマインドを定着させるのが大事なのです。そのためには親の工夫が不可欠だし、あの手この手とやり方を変えてみるという手間暇も欠かせません。そういう工夫や手間を惜しんで安直に褒美に頼ったりするから、後々大変な思いをすることになると佐藤ママは警告しているのです。

「褒美で甘やかしてはいけない」の正誤はさておき、「褒美で甘やかしてはいけない」のは子どものことではなく、むしろ親の方ではないでしょうか。褒美という一見手っ取り早い方法に頼り、工夫や手間暇を惜しみ、そうやって自分を甘やかすと、後々大きなしっぺ返しを喰らうというのは、当然といえば当然だと思います。今、精神科には「子どもが暴れて手がつけられないからなんとかして欲しい」という親の依頼が殺到しています。ほとんどが精神の病気ではありません。親が子どもの観察を怠り、的外れの干渉をし続ける割に、全然子どもの話を聞かないことで、子どもからの信頼を失い、結果、子どもをどうすることもできなくなり、かといってもはや褒美に頼ることもできず、今度は他者に「なんとかしてほしい」と頼ることになるのです。観察と工夫を怠ると後々大変なことになるというのは本当です。