ぎくっとした親御さんいるのではないでしょうか。何を隠そう私も「教材管理」しませんでした。

子どもが復習をしやすくするのが教材の管理です。勉強で成果を出すにはできなかったところをしっかりと⭕️に変えていく。そのためにはいつどの教材を、どこからどこまでやったのかということを管理しておく必要があります。もちろんね、大人だったら自分自身でできなきゃいけないかなと思うんですけど、小学生の子どもだと、やることも膨大ですし、自分で管理するのは難しいのです。というより、言い方を変えると、その管理にあまりエネルギーを使いたくないんです。

ごもっともですよね。なので佐藤ママはやっていたわけです。子どもの目の前に「今やるべきこと」」をパッパっと出し、子どもは目の前のことをひたすらやるという構図です。子どもが自分で「今日はこれとこれとこれをやろう」と考えたり選んだりすることを親がアウトソーシングするってことですね。分業しないと令和の中学受験は乗り切れないということです。繁田先生の母親もやっていたということです。

私が解いて間違えたところを母親が把握していて、それをきちんとやり直させるような形で指示出しをしてくれていた、これが一番助かっていたポイントだと思います。バツだったものを放置することを許されなかった、というよりも、自然とそれをやるように仕向けられていた。だから私の中でバツがついたものをやり直すというのは当たり前のことになっていたわけです。歯磨きとかね、帰ってきてうがいというのが当たり前のように、バツがついたものを放置するのは気持ち悪いと

流石に難関中学に合格する親はそういうことを「当たり前のように」しているんですね。親が子どもが間違えたところを把握するという大変なことを「当たり前に」やっている。そこに「わざわざしてあげた」みたいな恩着せがましい感じや苦役感は微塵もない。だから子どもの方も「自然とそれをやるように仕向けられていた」と解釈する。佐藤ママの真髄ですね。うちの息子たちが、まかり間違って開成だの筑駒だのを受けると言っていたら私もそういうことを「当たり前のように」やらなきゃいけなかったってことですよね。ごめんなさい、できません。私は令和の中学受験をする子どもの母親には向いていないってことです。それでもいいなら勝手に受験して、と言っちゃいますね。そのかわり算数のわからない問題は懇切丁寧に解説するけど、くらいのことは言います。要は、親の支援できることとできないことを子どもの目の前に並べ、そういうことを考慮した上で受験するかしないかは自分で決めて、と言うってことです。だって全ての親が佐藤ママや繁田ママのようにできるわけじゃないですから。そう言えば、東大に合格した子どもの親御さんがインタビューされた時、口を揃えて「何もしてない」と言っていましたが、彼らにとって「何もしてない」というのは、「当たり前のようにやっていたことを除いて」という意味かもしれません。あるいは「そんなの何かしたうちに入らない」ってことなのかも。

令和の中学受験の勉強のリズム作りというのは、親と子どもの分業体制の確率と言っても過言ではないってことですね。

息子に「やってよ!」と言われたらやってたかなあ。やってないと思う。だってそんなことしてたら私が数学解く時間がなくなっちゃうじゃない。それくらいならそういうことやってくれる家庭教師でも雇う?って言っちゃってたかな。いやでもそれは夫が許さないし。アホか!って言われちゃう。みなさん、本当にそんな大変なことを「当たり前のように」していたんですかあ?本当のところを教えて欲しいです。