息子たちに、夫は「勉強なんかせんでもええわ」と言い、母親の私は「世間で言ういい大学いい会社を選ぶ必要なんかない」と言い続けてきました。重要なのはそこじゃないと考えているからです。そこに価値観を置くのは危険で不利益だからです。精神科医の仕事で、その不利益を被りまくっている人を嫌というほどみていますから。
「重要なのはそこじゃない」と言うなら「重要なのはどこ?」と言われそうですが、それは自分の頭で考えることです。他人に聞くようなことじゃない。そういうことに唯一の正解はなく、人それぞれ違うからです。何度も言いますが「そういうこと」を他人に聞く脳みそを放置していては「情報戦を制する」ことはできません。
息子たちに、スポーツを通じて人生を逞しく生きるのに必要な知力体力を身につけてもらうことにしたのは、佐藤ママが常に言う「目の前のこと」をしっかりできる人間に育ってもらいたかったからです。過ぎたこととか遠い未来のことをグジュグジュ考える習慣だけは絶対つけて欲しくなかった。とにかく「目の前」とにかく「今でしょ」を徹底して欲しかったのです。特に小学校高学年から思春期は、肉体が急速に成長していく一方、頭の中は混沌、人によっては嵐の真っ最中のようにぐちゃぐちゃになる時期でもありますから、身体を激しく動かすライフスタイルを獲得することで常に脳を鎮静し、無用な疲弊を極力回避させたいという意図がありました。そのためには学歴や偏差値を手放しても、全然問題なし、というのが精神科医である私の教育観です。
有名大学に行くことも有名企業に就職することも、私は息子たちに希望しないので自由にしてちょうだいと思っていました。大学に行かなくても、有名企業に就職しなくても、かっこいい生き方素敵な生き方をしている人はたくさんいるし、現にこの目で見てきましたし、息子たちにも紹介してきましたから。何より精神科医の私としては「皆が行くから大学に行く」とか「皆が就職するから自分も就職」という思考行動癖のリスクを重視します。自己操縦感を喪失するからです。
小学生の長男が「将来の夢」に「スポンサーをたくさん獲得してサーフィンざんまいの生活」と書いているのを見て、私は「こうでなくっちゃ!」と、ものすごく喜んだのを覚えています。「この子には生き抜くセンスがある」そう確信しました。早速、資本主義を学んでいただこうと思い、永久不滅の入門書であるところの瀧本哲史氏の「君に友だちはいらない」をそれとなくリビングに置いておきました。