茂木健一郎氏の「質問力」という本の中にある「悪い質問」のリストの筆頭が、①正解を直接求める、です。質問の仕方が自分の思考様式を規定してしまうため、悪い質問を日常的にしていると、脳が自ずとそのようにしか考えなくなり、問題解決能力が著しく低下します。質問の仕方というのは人生において非常に大事なのです。今回の質問はどうでしょうか。

幼児教育ですが、褒めながら勉強させていましたか?勉強しなさいと言っていましたか?勉強嫌いにはなりませんでしたか?

勉強っていう言葉は使わなかったんですよ。プリントを7時から7時半まで、プリントを3枚してね、っていうふうに、具体的に言ってたんですよ。だからね、「勉強しなさい」って言っても何したらいいかわからないでしょ。言われても、言われた方も嫌だしね、すぐ何か取り掛かれるようなものの言い方をしないとダメなので。
しないといけないんですから勉強って、大学受験までは。大学受験までは絶対しないといけないわけでしょ。嫌いになんかなってる場合じゃないんですよ。だからね、嫌いにさせるのはやっぱり親の責任だと思いますけどね。嫌いになんかさせてる場合じゃないんだから。

お気づきになりましたでしょうか。佐藤ママは、一見、質問者の質問に答えているように見えますが、論点は全然違います。質問者は「勉強しなさいと言っていましたか?」と質問しているので、一般的には「Yes か No」で答えるものです。が、佐藤ママはそのように答えていません。それはつまり「そういう問題じゃないんですよ」ということです。ここを間違えては困ります。「勉強嫌いにはなりませんでしたか?」これに対しても通常はYesかNoです。しかし、佐藤ママはそのように答えていません。「勉強嫌いなどと言ってる場合じゃない」と答えています。全然、次元が違うわけです。この違いを認識しないといけません。

佐藤ママは徹底して「子どもがすぐ取り掛かれるようなものの言い方をしなくてはならない、だから具体的に指示を出せ」と強調し続けています。それはつまり「勉強しなさい」という言葉を禁句にし、ついつい「勉強しなさい」と言ってしまう脳を変えなさいということです。「勉強しなさい」などという曖昧な言葉を日常的に使っても何の疑問も感じない脳にしてしまうと、具体的な指示を考えなくなってしまうからです。

さて、本題です。佐藤ママは「勉強嫌いにするのは親の責任です」と断言しています。それを聞いてどのように感じましたか?アドラーの論理を思い返してください。勉強嫌いを「子どものせい」にしてしまうと、それは他人の頭の中の話なのでどうしようもありません。「自分以外の他者を自分の思い通りに動かすことはできない、それが自分の子供でも」ですから。なので「子どものせい」ではなく「親の責任」と考え、自分の行動様式や考え方を変える方がよほど簡単だし現実的なのです。