ADHDや自閉症スペクトラムといった発達障害圏に対する精神科的アプローチは「治す」を重視していません。医学における「治す」は、おおかたの場合、検査で確認できる患部を外科的治療、薬物治療、放射線治療で修繕したり取り除いたり、正常状態に戻すことを意味しますが、一方、慢性疾患の治療は「付き合っていく」というやり方を採ることが多く、発達障害圏に対するアプローチはこっちになります。

発達障害の診断について、私は、診断されなかったといって治療の対象にならないということはないと強調します。病気のほとんどには診断基準というものが存在し、メジャーな精神科疾患にも診断基準が存在します。だからといって「基準を満たさないから治療しません」ということではなく、たとえ診断基準を満たさなくても、患者が困っていることについては診断された者と同じように対応しますと説明しています。

発達障害であろうがなかろうが、親の子どもに対する向き合い方の基本は同じです。「治療」と言っても、最初から何か特別なことをするのでなく、とにかく子どもをよく観察し、子どもの話を聞く、子どもに話をさせる、ひとりの人格として尊重し頭ごなしに否定しない、怖い顔と大きな声で叱ったりしない、といった「親の基本姿勢」をひとつひとつ丁寧に行うことが最初のステップになります。逆に、こういうことをすっ飛ばして薬物療法など標準的治療を行なっても、あまり効果がないという現象をしょっちゅう見かけます。発達障害の医学的原因はさておき、親の子どもに対する向き合い方や姿勢で、子どもの症状がずいぶん改善することを忘れてはいけません。

受験勉強に限って言うと、やり方によっては発達障害は武器になります。医学部の同級生にも医者仲間にも発達障害の人がたくさんいますが、「飛び抜けて優秀な人」の中の発達障害の割合は高い印象があります。多動でお喋りでお調子者で怪我ばかりしている、忘れ物が多い、試験の存在自体を忘れる、大きな鞄を山手線の電車に年に何度も忘れる、といったゴリゴリのADHDの友達は、過集中を利用し、試験直前に全部覚えてほとんど全ての試験に1発で合格していました。彼曰く、本当は毎日勉強するのが望ましいのだろうけど、僕はそれができないから、これが僕の試験勉強スタイルなんです。流石に国家試験は一夜漬けはできないから3ヶ月くらい死ぬ気で勉強しましたよ、と言っていました。

発達障害については、治す治さないといった考え方より、その子の特性を活かして社会適応を強化したり、困っている症状を緩和する方法を「その子に適したやり方」にアレンジ(工夫)することが「治療」と私は考えています。