多くの受験のプロの先生が「親と子は別の人格である」ことを親がしっかり認識し「親の受験」にならないよう警告しているのは、認識できていない親がとてもたくさんいるからです。開成高校元学校長の柳沢先生も全く同じことを本に書いているし佐藤ママも言っていますね。受験のプロの先生方は「親の受験」という言葉に詰まっている「狂気」や「危険性」を日々痛感していると言っています。これは「親の受験」という言い方で自分たちの行動を正当化してまで、子どもの受験に介入する親への警告なのです。

子どもの受験をあたかも自分の受験のように捉え、不合格になろうものなら立ち直れないくらい落ち込み、延々そのことを引きずる親は少なくありません。受験のプロの先生が「中学受験は親の学歴のリベンジではありません!」とわざわざ言わなければならないくらい、自分の学歴コンプレックスを子どもの学歴で解消しようとする親も少なくない。それで子どもの人生がめちゃくちゃになる危険性があるとはつゆにも思っていないのです。奈良の東大寺学園の学生が父親の教育虐待に耐えかね、家に火をつけなんの罪もない母子3人が死亡した事件から何も学んでいないのです。

Z会の先生はとても大事なことを教えています。受験校のレベルが上がれば上がるほど、親の姿勢の差が合否を分けると警告している点です。親の過干渉や支配・共依存は子どもの精神状態を不安定にしますから、学習効率は当然下がります。同点に何人もの受験生がひしめきあう高いレベルの競争においては、子どもの不安定な心理は非常に不利なのです。子どもを中学受験に挑ませるなら、せめて子どもの邪魔はするなということです。それでなくとも令和の中学受験は過酷なのです。

お子さんが「自分自身の受験」をやり抜けるよう「見て見ぬふりをする」勇気と覚悟を持って見守っていただきたいと思います。