すべてが複雑で矛盾だらけ。馬鹿げているとさえ言いたくなる現代社会において、私たちは「放棄」する訓練を積むべきです。それはゼロから再出発するため、そして空、大地、太陽、山、川、全てがそのままの状態で私たちのために在ることを改めて実感するためです。たとえそれが瞬間的であっても、私たちは自分が所有し、関わりを持っている物事から自らを解放することで世の中をより俯瞰的に、より明晰に見られるようになります。ただこの考え方は、既に別な教育システムで育ってきている文化的な人にとっては容易に受け入れられるものではないかもしれません。

「放棄」は「狂気」につながるのではないか?と思われがちです。そういう人は身辺に空間を作ることは良いことと認めてはいても、自分の生活習慣や考え方まで「放棄」することは許容範囲にはいらないのです。こうして人は睡眠中にまでも抱えていた問題を持ちこむことになり、疲労そして不眠を蓄積していくのです。

人生の目的がスキー板や本、ハイテク製品、骨とう品、食器や洋服のコレクションをすることであってよいのでしょうか?これを幸福と呼ぶべきでしょうか?「満足感」も、食べ物、薬物、すべて「興奮」を与えてくれるものからしか得られないものでしょうか?あなたは成功や有名になること、または快楽、物質面を改善するというようなことを常々求めていませんか?新たにモノを購入することで、自分がより幸せに、より完全に近づくと思っていませんか?

本物の豊かさ、それは輝くような喜び、深遠なる平安、壮大で絶対不滅な何かにつながっているという感覚、逆説的ですが、完全に自分自身でありながら自分をはるかに超越している何かを自分の内に認めること、これこそが本物の豊かさなのです。たとえ山のような財産を持っていても、この豊かさを知らない人の心は貧しいままなのです。