自立のため「何でも」一人でできるようにする。正しいと言えば正しいですし、言い過ぎと言えば言い過ぎですよね。「何でも」は言い過ぎです。私は「何でも」より優先順位をつけることを息子たちにしつこく教えました。シンプル主義の極意です。

子どもの心理的自立を支援するのは親の役割です。そのためには親が子どもを認めなければなりません。認めるというのは「この子はもうひとりでもダイジョーブ」と親が自分の判断を信じることです。これができないと子どもはいつまで経っても心理的自立が果たせません。多くの場合、タイミングは思春期の入り口です。この時期に親が不安に取り憑かれ、子どもに「ああだこうだ」と干渉し続けると、心理的自立が果たせない子どもの心にアンビバレンツが生じます。精神の具合が悪くなるということです。

私は幼少の息子たちのしつけにおいて、社会的ルールの遵守を、それこそ「当たり前」レベルにしようとしつこく教えました。「他人の話をよく聞く」などはその中核(最高の優先順位)です。自分の主張ばかりで他人の話を聞かない人は必ず後ろ指を刺されるようになり、それが被害的な気持ちの萌芽になります。「他人の話を聞く」と「自分の主張をちゃんとする」はセットです。自分の主張をするには他人の話を聞くのがルールと教えました。子どもの心理的自立には「社会性の成熟」が欠かせないからです。今の若者に多い「わかってほしい」症候群は社会性の未熟から来ています。わかってもらうためには、自分が他者の話を聞き、他人を理解しようとする必要があるのです。うちの場合、長男は早くからそれができましたが、次男は中学生になってからでした。同じ環境で育っても成熟には差があります。

自立というと、社会経済的自立を考える人が多いですが、精神科医としては、社会経済的自立の前に必ず心理的自立を先行させる必要があることを強く訴えたい。なので子育ての後半は子どもの心理的自立に注力することになります。実はこれが結構大仕事なので、私は中学受験をしている場合じゃないと考えていたのです。

自立に「身の回りを整える」が自分でできるようになることは必要です。しかしいきなり「何でも」というわけにはいきません。ものには順序があります。その順序を無視し、いきなり難易度の高いことをやらせても、子どもはできませんよ。学校に行く準備の前には、自分の部屋や机の上の整理整頓を通じた自分の持ち物の管理が必要です。自分の持ち物を管理するという意識を持たないと、どこに何を置いているかがいちいちわからなくなり忘れ物ばかりするようになります。私は息子たちに「1辺が30−40センチの立方体」の「蓋のない箱」に、学校で必要なものを全部入れるように教えました。引き出しとかに入れてしまうと「パッと見て」わからないので、探すのに手間取ったり、探すどころかそこに置いたことすら忘れてしまう可能性があるからです。蓋のない箱なら上から見えるし、いざという時は箱をひっくり返せば必ず見つかります。そして箱に入りきらない状態になったら取捨選択し捨てさせていました。小学生が管理するものはそう多いはずがないからです。これは後に大人になった時の情報管理にとても貢献しました。