人生はものの考え方、受け取り方、理解の仕方で決まります。損な考え方をする人は損ばかりする。損を得と考えることのできる人は得をする。損して得取れ。こういう諺や故事成語は、親が子どもに、折に触れ、会話の中に盛りこみ伝えていくものです。

林修氏の「受験必要論」は実に多くの学びを体験させてくれますが、不覚にも泣いてしまった部分があります。そこを紹介します。これまでも、本を読みながら泣くことはありましたが、受験本で泣くのは初めてだと思います。引用します。

質問者 大変ぶしつけな質問ですが、東大に簡単に入れる「コツ」はありますか?

「コツ」ですか、、。僕はこの言葉があまり好きではないんです。よく「現代文のコツは?」などと聞かれることがあるのですが、ひと言で答えられるような「コツ」があったら、それで勉強はオシマイで、僕らは失業ですよ。僕らの失業はともかくも、そんな簡単につかめる「コツ」ではないところで合否が決するからこそ、東大の価値もあるのではないでしょうか。「簡単なコツは?」などと聞くこと自体が、東大に対して失礼なように思われるのですが。小さい頃から10年、あるいは15年といった、決して短いとはいえない期間、もしかしたら友だちが楽しそうに遊んでいるのを横目で見ながら、きちんと頭を使って暮らした結果として入学が果たせたのですから、「コツ」などという安易な言葉を使うのはやめませんか?

何という真摯な回答でしょう。何度読み返しても胸を打たれます。熱い気持ちがこみあげてくる。受験に真摯に向き合い、これからがんばろうとしている人たちへ、決してうわっ面で耳障りの良い言葉を並べたものでない、これが心のメッセージというのではないでしょうか。世の中には「簡単に合格する方法」「サクッとできるようになる秘訣」といった本が溢れていますが、そういうものの方が不謹慎で、消費者にとって有害とさえ思います。小林尚先生も述べていますが、勉強の絶対量が最も大事。何故、多くの発信者は、こんな大事なことを述べず、「楽してナンチャラ」といった小手先のノウハウを並べ立てるのでしょうか。私には理解できません。