成田先生の「誤解だらけの子育て」の45の誤解を私の経験からひとつひとつ考察します。なので私の個人的考えや意見です。今回は①早期教育するほど賢い子になる、です。私は息子たちに「いわゆる早期教育」はやりませんでした。英語をやるとかね、やらなかったです。算数や数学を得意にするための教材も使いませんでした。注力すべきは「語りかけること」「話をさせること」「一緒に体を動かすこと」と考えていたので、それ以外のことをする気にならなかったのです。「語りかける」と言っても普段大人と喋っているように、ではなく、明朗な表情と口調でゆっくりはっきり、というように。最初は長い文章を使わず、主語と述語がわかりやすいように務めました。何かの本に書いてあったとか、他の人が「そうするのが良い」と言っていたからではありません。自分で「こうしたら良いかな」と考え、行動していました。「自分で考え行動する」を行うと、正直、他からの情報を得て評価して取捨選択するという手続きなんかやってられないんですよね。もう走り始めているのですから、走りながら考えるしかないという感じでした。

私は試験勉強を通じ、色んな人が色んな意見を言い、時に有益な情報はあるけれども、ほとんどの場合雑音にしかならないと思っていたので、子育てにおいてもそのようにしました。他の子どもはこうしているああしているといった類の情報に翻弄されないよう努めました。今で言うなら「中学受験前の子どもの親はSNSを見るな」みたいな感じ。情報処理できず翻弄され「あれもこれも」になる弊害の方が大きいと理解していたのです。今となっては笑い話ですが、当時ひとつ気になっていたのが、父親が関西弁で母親が標準語というのはいかがなものだろう?という問題です。子どもの頭の中でぐちゃぐちゃになってしまうのではないかと考えたりしていました。今なら「いやいや、そんなことはないですから」と笑って言えることですが、当時はちょっと調べたりもしていたのです。笑 でも考えてみてください。調べたところで、ではもし「標準語に統一した方がいい」と書かれていたら、夫に「関西弁を話すのをやめて欲しい」と言えたか?という話です。言えませんよ、笑。お前アホか?と言われちゃいます。

あれから20年たち、幼児教育情報が溢れかえるようになり、今の親は大変だなあと思っています。情報が溢れかえるだけでなく、色々な人が色々な意見を言ってますからね、収拾がつかないでしょう。だから私は「せめて教科書を1冊にして」それを信じてやるのが良いと考えます。色々な情報に翻弄されないが最も大事と考えるからです。私の立ち位置は成田先生とほとんど同じで、まず体の健康、そして体力です。他のは全部後回し。親が忙しいからといって陽光降り注ぐ中で遊ばせることができないというのは違うんじゃないかな。とにかく大声を出して体を動かして疲れ果ててとっとと寝る、そればかりやっていた気がします。ああ、あとは魚料理を勉強しましたね。知らない魚がなくなるのが楽しかった。病院の栄養士の先生をタダで活用していました。色んな味や匂いを体験させたいと思い、そういう勉強はしていました。なんか理系っぽいでしょ。同じ味付けでも長男と次男じゃ食いつきが全然違うのが面白かった。「まずい!」とか言われても笑っていられましたもん。おまけに「美味しいと思って食べれば美味しく感じられる」とか5歳の子どもに言っちゃったりしてました。良いか悪いかは知りませんが。