夫には夫の人生があり、私には私の人生があります。私たちは夫婦でも親でもありますが、互いにそれぞれの人生を生きているという意識を緩めたことはありません。

昔、今井美樹の曲を聴き漁っていた時に、名曲を見つけてしまいました。セカンドエンゲージという曲です。その中にあったのがこの詞です。

空に銀のセスナ離れて寄り添う
あなたとあんな風に生きるの

一発で胸を鷲掴みにされました。これこれ!この感じよ!と思ったのです。セスナは衝突すれば大惨事ですものね。笑

スポーツ選手はことさら「ひとりの時間」を酸素や水同様に必要とします。恋人だろうが妻だろうが子どもだろうが、絶対に侵せない時間です。それがわかり始めたのは夫と付き合い始めてしばらくしてからでした。なので息子たちが寝静まった後とかに夫が

ちょっと出かけてくるわ

と言っても、

どこいくの?

とは聞かず、分かった、と返すようにしてきました。そんなことは当たり前というふうに。気障な言い方をすれば、私は息子たちの母親以前に、常に夫の妻であることを意識してきました。夫を「息子たちの父親」として見るだけでなく、ひとりの大人の男として見るようにしていたのです。

遡れば大学の頃から、私は夫の「私と過ごす時間」以外の時間に介入しませんでした。もちろん私は私で「やるべきこと」があったというのもあります。ちょっと話したいな、声を聞きたいな、ということもありました。でも何故か自制しました。自制できたのです。そうすることで「一緒に過ごす時間」がもっと楽しくなる、みたいに考えたわけでもありません。ただなんとなく「そうした方がいい」くらいに思っていました。それはもしかしたら男の扱いに長けた母親の影響かもしれません。