自分は宗教は好きではない。自分が信じている神様を信じない人を、平気で殺す。常に自分が信ずる神がいちばんいいと思って、他人が大切にしている神様を弾圧する。世界の歴史が始まって以来、異教徒による宗教戦争はあとをたたないから。

はっきり言って、禅は宗教ではない。禅宗という教団は宗教ではあっても、禅は宗教ではない。禅が信ずるものは寺た仏像ではない。あなた自身の、たった一本の指の尊い動きである。唐代の禅僧はこれを「一指頭の禅」と言った。一本の指に生命の真実があると。生まれてから今日まで、どれだけ五本の指の世話になって生活してきたことか。たまには「一人ぼっち」になって、しみじみ五本の指と対話したらどうか。

孤独を嫌ってはいけない。自分の生命の尊さは、つと、立ち止まって、「一人ぼっち」になって、自分と対話しなくては、わからない。孤独になる時間を確保すること。

いかがでしょうか。「一指頭の禅」の極意、読み取れましたでしょうか。「孤独を嫌ってはいけない」という話です。孤独というと、多くの人は「嫌」とか「寂しい」と捉えがちですが、禅のみならず精神科的にも、孤独は大切です。ひっきりなしに襲来する情報を一時遮断し、せっつかれるように過ぎる時間の激流から離れ、他者と関わらず、空や木々、海などを見て「ぼうっと」する時間が、健全な精神には必要なのです。何もしない時間、一人で、ただぼんやりする時間を味わう重要性を、皆さんには是非理解して欲しい。論より証拠で今日からすぐに実践しましょう。そういう時間を味わうライフスタイルを極めて欲しいのです。