ラグビーを引退し数年たったある時、夫がとても大事な話をしてくれました。

「騙されて始めたとはいえここまで来れたのは、幸運とほんのちょっとラグビーに才能があったってことやわ」

その時私は、夫のこのセリフに衝撃を受けました。あれほどの努力と成果の出所を「ほんのちょっとの才能」と考えていた点です。中学高校の頃は「才能がある」などと考えもしなかったそうです。30年以上続けてきてようやく「ほんのちょっと才能があった」と自分を評価できるようになったというのです。

色んな人が助けてくれた。まず、親な。おとんもおかんも、ラグビーなん全く知らんかったのに、応援してくれた。近所のおばちゃんとか、学校の友だちとか、ラグビーのことなん全然知らんのに、わざわざ試合見に来てくれたりな。花園ラグビー場や国立競技場で何がいっちゃんすごかった言うたら歓声やわ。うねる大波みたいな凄いパワーの歓声や。忘れられん。こんなたくさんの人が見てくれてるんや思ったら体にぶわああっと力が湧いてん。
東京に来てからも、色んな人が応援してくれたり支えてくれた。まずお前や。ほんまにありがとう。感謝しきれんわ。東京のパパやゲイバーのママとかな、ほんまにたくさんの人が助けてくれたり応援してくれたからな、続けられた。幸運な人生やったわ。

ラグビーの魅力に取りつかれた男はものすごくたくさんいます。実際にやり始め、続けてきた者でないとわからない魅力や魔力があるに違いありません。残念ながら私にはわかりません。夫が言う「助けられた」という感覚は、チームの仲間内だけの話ではなく、チーム外の、全く見ず知らずの人々までもが「助けてくれたり応援してくれる」という思いが、ある種の一体感を生み、それがものすごく気持ちいいのではないでしょうか。

夫の場合、そういう人々と一体感を感じながらがんばったり笑ったり遊んだりし続けることが出来る生活を生んでくれたラグビーという種目に出会ったきっかけが「たまたま騙されて」だった。本当に「たまたま」。だから自分の人生を「ほんまに幸運やった」と振り返っているのだと思うのです。