長い間、精神科診療を行う中で、「死の価値観」が変わりつつあることは感じていました。しかし今みたいに、まるでウイルス感染のように爆発的増加(アウトブレイク)するとは思ってもみなかった。ヒステリーが共鳴し合うことは歴史上何度も起こっていたのに。学生運動や暴動のような現象が、まさか死の価値観をめぐって現象化行動化するとは思いもしませんでした。反省しきりです。しかし反省している場合ではありません。問題は、あなたの子どもが「トー横」や「グリ下」に足を向ける可能性がありその可能性は決して低くないということです。

アウトブレイクに「まさか」が通用しないことはコロナの4年で痛いほど学びました。緊急事態宣言も、多少の効果はあったけれども著効はしなかった。その理由はおそらく、多くの人々の心の底にある「まさか」「自分は大丈夫」という気持ちではなかったでしょうか。極端な言い方をすれば、アウトブレイクになったら「どんな策」も著効しないということかもしれません。

「トー横」や「グリ下」に集う若者たちの流れを止めることができるでしょうか。その場所を封鎖しても、きっと別の場所に移動されてしまいます。そしてイタチごっこの末はもっと悲惨な現象が待っている。全国至る所に「トー横」や「グリ下」のような場所ができるでしょう。それがアウトブレイクです。この「新しい死の価値観」の蔓延を私たちは食い止めることができるのでしょうか。そしてこれこそが、未知のウイルスよりもっと恐ろしい歴史的事件の序章のような気がしてならないのです。「新しい死の価値観」は、様々な形で具現化し、例えば若者による無差別的傷害事件や殺人事件です。毎日のように起こっている。このことは、公教育をはじめ、家庭教育、子育て、DV、虐待、、、精神科医療、精神科薬の取り扱い、、世界が抱えている多くの社会問題をひっくるめた大きな潮流が、私たちが予想もしない方向に着実に向かっているシグナルなのではないかと、精神科医の私には思えてなりません。