親がそのまた親から激しい暴力や虐待を受けていたとか、親の自殺シーンを目撃してしまったなどという体験をしていた場合、その体験話を子どもにするべきかしないべきか問題です。相談者は「子どもたちのことを思うならどちらが良いと思いますか?」などと言っていますが、こういうことに唯一の正解はありません。ないのですが、この相談者にとっての「子どもたちのことを思うなら」は一体全体どういう意味なのか、理解に苦しみます。

子どもたちのことを思うならどちらが良いと思いますか?

岡田斗司夫先生も、この「子どもたちのことを思うなら」の部分にツッコミを入れていました。「子どもたちのことを思うなら」というふうに発想するのがもう違うと思うんですけど」と述べています。私は私で、自分の辛い過去話の内容にもよりけりで、失恋体験程度の話なら良いと思いますが、そんな「虐待を受けた」とか「自殺を目撃した」とかいうセンセーショナルな話を子どもにする必要がありますか?という話。そんな話、全然子どものためになりませんよ。つまりこの親は全然「子どものため」なんか考えてないってことです。

精神科医として申し上げます。自分が受けた虐待や暴力、自殺といったワードにまつわる体験談を子どもや若者に「したい」と思うことそれ自体が「子どものため」を考えていないと思いますよ私は。そんな残虐な話を何故わざわざする必要があるのですか。それを聞いた子どもは何を学ぶというのでしょう。しかも、そういう話をする時、人は冷静でいられません。話している親がだんだん興奮したり泣いたり、、ということにでもなれば、そのことの方が子どもの心に深い傷となる危険性がある。

ちなみにPTSDの診断基準には「近親者または親しい友人に起こった心的外傷的出来事を耳にする」という要件が入っているんです。つまり親がそういうことを不用意に話すことで、その子の脳にPTSDの診断基準を満たすダメージを与えるかもしれないってことです。

他人が聞いて不快になる話をわざわざする必要はないというのが精神科医の私の子育てルールです。辛い体験に学ぶべきものがあるのなら、学ぶべきものに多くの時間を割き、辛い体験の方は「さらっと」でいいんですよ。親が子どもに自分の辛い話を「聞いて欲しい」だなんて、何を考えているんだという話です。そんな話は自分の友達か心理士にしなさいってことです。