堀江貴文氏の動画です。動画の最後の部分が全部を物語っているのでその部分を文字起こしします。

人生って意外と短いよって言いたいわけ。訓練(まず企業に就職して起業するための訓練をするという意味の訓練)とか言ってる場合じゃないよ。特に言いたいのは、体力っていうのはすごく残酷で、遺伝子の違いなのでどうしようもないのよ、努力でどうにかなるもんじゃないから。そうするとね、40代50代になると如実に差が出るんですよ。でも10代って全然出ないのよ。無理が効くとしたら10代20代。体力がないとモチベーションが湧かないんですよ。体力がある人はメンタルが強い、体力ない人はメンタル弱い、そういう人たちは30代40代でやる気がなくなっちゃって人生詰むんですよ。だから10代20代で頑張ってっていう。20代のうちに何かを成し遂げないといけないと思うよ。で、その貴重な時間を受験だの就活だのに費やしているのはマジで無駄、可哀想。でも「囚われてるんだよなあ」

だって褒められるんですもん、枠組みで、1番取ったら。親に。周りにも。

いかがでしょうか。「だって褒められるんですもん」で始まる東大生タレント神谷氏の言葉はこの世代の高偏差値若者の本音です。せっかく親や周りに褒められる場所にいるんだから、その枠組から外に出ることができないという理屈。それを堀江氏は可哀想と述べています。可哀想というのは「もうどうしようもない、お好きにどうぞ」という意味です。問題は高偏差値の神谷氏自身、現状にストレスや危機感を抱いているということです。これでいいとは思っていない。危機感を抱いているくせに枠組から外れることができずにいる。これはものすごいストレスです。自己操縦感を失い自己肯定感を削ってしまいます。医者の中にもいますよ。医者になりながら、現状に満足できず、「違う分野に進んだらもっと稼げたのに」などと言って始終不平不満を垂れ流している人。こういう人が今どんどん増えているのが精神科臨床においてもトピックスになっています。理由はわかりますね、他人との比較でしか自分のアイデンティティを認識できないから。「上には上がいる」を受け入れられない。永遠に渇望感に苛まれる人生になってしまいます。東京大学に入って何を勉強しているのでしょうか。子育て本を10冊も読めばどの本にでも書いてあることです。こういう脳みその人が「人生詰む」のです。するとキャリアに迷走して思い悩み精神科に訪れるようになるのです。


早いもので次男はこの春大学4年になります。就活はしないようです。昔の私なら「じゃあどうするの?」と根掘り葉掘り聞いていたでしょうが、次男の子育てを通じ私自身も成長したので「じゃあどうするの?」と問い詰める脳みそは手放しました。次男は自分の選択に。母親の私がちょっとでも介入するのが嫌なのです。話をしたい時は自分から話すタイプなので、私から聞くことは何もありません。「親として不安じゃないの?」という声が飛んできそうですが、全然不安じゃありません。私の役割は不安に苛まれることじゃなく「あなたの判断で生きてくれて全然ダイジョーブよ」と認めることです。それに私はもうとっくに次男のことを認めていますから。それは次男が高校1年の時「オレの親友」と言って西野君を紹介してくれたあの日、私にはピンと来ました。こいつを親友に選んだオレの判断すげーだろと言われているような気がしたのです。それから今日までの6年で、私は私で西野君と関わり知ることで、次男の選択の確かさを自ら検証することができました。たくさんの友達の中から西野君という人間を選び抜いた目こそが、母親の私、そして精神科医の私をして、次男を認める一番の理由になったのです。人を選び抜く目の厳しさ確かさが、私が最も重視する「生きる力」であり、信用の根拠なのです。


話を戻すと、堀江貴文氏の言う「何かを成し遂げる」とは「多くの人がイメージする成功」ではありません。ここをはき違えるとえらいことになります。そういうことではなく、自分のこれからの長い人生の土台づくりとしての体験を成し遂げるという意味です。その体験を基盤に更に上に体験を築いていけるような宝物のような体験とでも言えばわかりやすいでしょうか。のちに「この体験があったから今の自分がある」と胸を張っていえるような話です。当然、唯一の正解などはなく、20代のうちに10億儲けるとかそういう薄っぺらい話ではありません。例えば先ほど引き合いに出した「人を選び抜く目を養う」といった話です。この件に関する理解を深めるのにおすすめの本は村上太一氏の「リブセンス」というタイトルの本です。ぜひ高校生大学生のお子さんに読ませてあげてほしい一冊です。