若者の間にOD(オーバードーズ)が猛烈な勢いで蔓延しています。私の病院でも様々な薬を大量に服薬し救急車で運ばれてくる患者数が急速に増加している。「トー横」や「グリ下」といった時代を象徴するワードの、報道媒体における登場回数の増加と明らかに相関しています。そして今や小学生ですら「トー横」「グリ下」に足を運ぶようになりました。もう他人事と言ってなどいられない風潮です。

彼らはODをあたかも「面白がって」やっている節があります。危険を承知で、同時に、それを面白がってやっている。

この風潮に先行し、近年「死にたい」と日常的に言う若者が爆発的に増加し、彼らの間では「私だけでなく皆、死にたいと思っている」という認識が広がっています。破滅思考の連鎖とでも言いましょうか。まさに類は友を呼ぶ現象で、同じ認識の者同士がネット・リアル両方で集まることで共感共鳴し、死への不安や恐怖を軽減しようとしている非常に危険な現象と考えます。そこは社会道徳や法律が通用しない無法地帯になっているかのようです。

彼らは「死」を、まるでロシアンルーレットの感覚で面白がっている。

精神科医の私にはそのように思えて仕方ありません。そう考えることで彼らの言動や行動に一貫性が見えてくるのです。彼らの認識の中での「死」は市川猿之助にとっての「死」とは似て非なり、なのです。死への価値観が違うと表現しても良いでしょう。そして世の多くの精神科医にとっての自殺についての認識は、後者の認識が主流なので、前者の認識への理解が乏しく、問題解決思考が働かないのです。

「生きづらい時代」と呼ばれるようになって久しいですが、生きにくさは個人の問題だと思われてきました。「生きづらさ」が共有され共鳴し合い、死への具体的行動をとると予測した精神科医や学者はいたでしょうか。確かに前兆はありました。ネットで自殺を呼びかけるという現象もそのひとつだったでしょう。しかしその現象の延長線上に「トー横」や「グリ下」に集う若者が現在とっている行動を予測した医者はいなかった、あってもごく少数で、心の内に「よもや」「まさか」と、とどめていたに違いありません。その「まさか」という思いが対策を後手後手にしてしまったのです。その結果、何か予想もできないような恐ろしい事件や事故が起きそうな悪い予感がします。集団自殺とかより予想外な、「ええっ!!」と目や耳を疑うような事件が起きそうな気がしてならないのです。