私と違い、夫は息子たちに何かを教えようとする際、言葉で教えることは多くありませんでした。何でも息子たちと一緒にやりながら「息子たちが感じ学び取る」という感じだったように思います。堅苦しい言い方をすれば「行動で示す」となりますが夫自身はそんな大仰なことを考えてはいませんでした。

どういうわけだか、ことある毎に、夫は息子たちに高いところから飛び降りることをさせていました。もちろん自分が先頭を切って。私がヒヤヒヤしたのは、結構高い防波堤から水面に向かって飛び込むことでした。子どもにそんなことをさせて万が一にも溺れ死んだら、親の責任が厳しく追及されるでしょう。しかし夫はそんなことお構いなしで楽しそうに飛び込んでいました。

頭でっかちな私からすると、水面下がどうなっているかわからない状態で飛び込むなんて危険以外の何物でもないことです。ひとたび「切り立った岩があるんじゃないか」とか「サメがいるんじゃないか」と危険な理由を挙げ始めたらきりがなく、すると必ず「危ないからやめておこう」となってしまいます。

一方ラグビー部夫は「ええからやってみ。めっちゃ気持ちいいから」と教えていました。「ええか見とけよ」と言って「ひゃああ!」と奇声をあげ、体を大の字に開いて足からドボン!私はともかく息子たちには「なんだか面白そう」という印象でした。だから父親に続いて奇声をあげて飛び込んでいくのでした。終わった後は「どうや、めっちゃ気持ちよかったやろ」「うん!!!」という会話になります。夫は息子たちに「高いところから飛び込む」の快感や興奮を体験させたかったのです。それに気づいた私は次のように考えました。

「高いところから飛び込む」という行為から子どもが大事な学びを得る可能性もある。ハイリスクハイリターンの論理です。何でもそうですが少々のリスクを負わなければリターンを得ることはできません。おそらく、ですが、息子たちは父親との多くの体験の中で「とりあえずやってみる」「挑戦してみる」というマインドを学び取ったような気がします。

私たちが生きているのは先行き不透明な時代です。先はどうなるかわからない。多くの本に書いてあることですが、こんな時代に必要なマインドは「先はどうなるかわからないけれど、とりあえずやってみる」です。「とりあえずやってみる」マインドは、数学の問題を解く時だけでなく、不明瞭で混沌とした時代を逞しく生き抜くのに必要な能力です。リスクばかりを先に並べ、並べたリスクだけを理由に「やめてしまう」習性を身につけてしまうと、何も挑戦できなくなるばかりか、様々なことへの適応に支障を来すようになります。適応障害の「適応」に支障を来すようになるのです。

もちろん夫はそんな「小難しいこと」を考えて飛び込むタイプではありません。それが「気持ちいい」体験と知っているから、それを息子たちにも味わせるために真っ先に飛び込んで行っただけです。その時の息子たちにとって大事なのは上に私が説明したような「小難しい話」ではなく飛び込む快感や「飛び込めた!」という達成感でした。母親の私から見て息子たちは「とりあえずやってみる」マインドはじゅうぶん成熟したと思いますが、今の息子たちがその恩恵を感じているかどうかは知りません。