もしダメだったらどうしよう。入学試験に限らずスポーツでも芸術でも、そして仕事でも、大一番を目前とした者の多くが抱く気持ちです。夫も常々、

何がいちばん怖いかと言えば、試合に負けることやなくて、一瞬でも「だめかもしれん」と思うことや

と言っています。毎日の努力というのは、こうした自分の中の不安をいかに封じ込めるかを鍛錬する修業なのかもしれません。不安は周囲に伝染し、冷静な判断を揺るがし、パフォーマンスの質を低下させます。不安は焦りを生み、何が何だかわからなくなり実力の半分も出せなかったということになりかねません。生きている限り、高みを目指せば目指すほど「ダメだったらどうしよう」「落っこちたらどうしよう」はつきものです。この気持ちをいかに対処するか、小学生の中学受験はこれからの人生に何度も訪れる「自分の心が生む不安との戦い」の初体験なのです。

指導医松下先生の金言を紹介します。

初体験は2度とないんだよね

何でもそうですね。一度経験してしまえば、初めての時に感じた様々な感情を経験することは2度とできません。嬉しいことも苦しいことも、一番最初が最も衝撃的なのです。大作の呼び声高い映画を最初に見た時の感動を、2回目3回目で味わうことはもうできません。医者が人生最初に担当した患者のことをずっと忘れられないのはこういうことなのです。

だったら初体験を楽しみなさい。泣こうが笑おうが初体験の時間は必ず終わる。ずっと続くことは絶対ない。

松下先生の金言はこのように解釈できます。その体験によって味わう悲喜交々の感情を味わうことはもう2度とない。だったらそれら全部を、逃げずに受け止め格闘するのもいいじゃないか、過ぎてしまえば全部過去。後になって「あの時の気持ちをもう一度味わいたい」と思っても、残念ながらもうできないのだから。

ラグビー選手の夫が「ダメかもしれん」という気持ちとどのように向き合ったかをお伝えします。夫は高校時代、全国大会の大一番で予想外の劣勢を強いられ、残りわずか数分のところで自分の脳裏に「これはもうダメかもしれん」という気持ちが現れたことに、その後しばらくものすごく苦しんだと言っていました。試合に負けたことより、勝敗が決する前に自分の方から負けを認めてしまった自分が許せず、かといって未だ知識や経験が未熟な高校生の夫は対処の仕方もわからず、あの時はほんまに苦しかったと述懐しています。

まあでもすぐに練習やからな。結局は練習しかあらへん。問題は取り組み方や。負けた直後、たいていは、あと10分あったらひっくり返せたとか思うやろ。その10分は神様に土下座してでも欲しい10分や。ほんなら練習の10分やどうなんやという話や。同じ10分やのに、片や土下座してでも欲しい10分、片や「きっついわ、はよ終わらんかいな」の10分。あかんやろ。1円を笑う者は1円に泣くんや。練習の10分をテキトーにやってる者は本番の10分に泣く。あんな気持ちはもう2度と味わいたない。せやからあの一戦以来、おれは、どの10分も「あの10分」と思って練習するようにした。土下座してでも欲しい10分や。

勉強も同じです。入試本番の10分も本番1年前の10分も同じ10分です。なのに1年前の10分を多くの人は軽視しがちです。本番の10分は神様に土下座してでも欲しい10分なのに。その10分があったらもう1問解けて合格したかもしれない10分です。

ある時思いついたんや。それでも4月5月は全国大会まで10ヶ月近くあるやろ。甘えてしまうんや。ついついダラダラになってしまう。せやからキツい練習をするんや。体がキツくなると弱い気持ちが出てくるからな。「もう無理」とか「はよ終われ」とか、そういう気持ちを利用するんや。そこで「おれの本番はこっから」とフンドシ閉め直すようにした。「こっからがあの10分」と思うようにしたんや。